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自分のために『自由に働く』という考え方。

こんにちは、くま先生です。

今僕は「くま先生」と積極的に名乗るようになりました。

とはいえ、ちょっと前まで僕はただの「熊谷」でした。


正社員を10ヶ月でやめてフリーターに

話は遡ること10年前…

僕は大学を卒業して、

某ドラッグストアに正社員として入社しました。


それはそれなりに楽しい時間でしたが、

「自分のしたいことはなんなのか?」という自問自答を繰り返すようになりました。

その結果、10ヶ月でやめてしまいました。


「正社員」という肩書きは親にとっては良いものだったようで、

何度も止められました。

ただ、若かった僕にとって「正社員」は自分を縛る言葉にしか聞こえませんでした。この生活は刺激が足りなかったのかもしれません。


そうしてフリーターになった僕は、

次に体育指導のバイトをしながら音楽活動をはじめます。


突拍子もない話ですが、元々在学時代、アコースティックギターにハマっていて、これだけで生活できたら素敵だろうなぁと思っていたからです。

せっかく仕事をやめたので、好きなことをやろうと考えた僕は、バイトをしながらボイストレーニングやギター教室に通うようになりました。

ちなみに体育指導のバイトは、体育大学出身の僕にとっては、いつも当たり前にあるバイトだったのですぐに見つかりました。


ただ、この生活は長くは続きません。


体育指導のバイトはあまりお金にならず、

音楽活動は大した成果をあげることができなかったからです。


そこで次の転機が訪れます。

通っていたボイストレーニングの社員にならないか?

と声をかけてもらったのです。


このボイストレーニングで今の妻とも出会い、

沢山楽しいことがありました。

だからこそ、ここで働くのも良いかもしれないと思うようになった僕は、

その話を受けました。


そうしてまた会社に属して働くようになった僕ですが、

ここで自分は『雇われることに根本的に向いていない』ということに気づきます。


社員になって10ヶ月で鬱になる

とはいえ、気づいたのはこれまた働き始めて10ヶ月が経った頃でした。

僕にとって10ヶ月というのは転機の時期なのかもしれません。


この頃、朝8時に会社について、夜0時に帰宅するという生活が続いていました。

振り返ってみると、この時僕は『自分のために働いていなかった』ように思います。


会社のために早く働いて、会社のために夜遅くまで働く、

という生活でした。


さらに並行してバンド活動もしていたのですが、

この時、なぜか自分の曲の歌詞が頭に入ってこなかったり、演奏中に意識が飛んだりすることがありました。


自分の異変には気づいていましたが、

その頃妻と結婚したこともあり、やめるという選択肢はありませんでした。

だからこそ、無理をしすぎたのかもしれません。


そうして僕は働き始めて10ヶ月が経った頃、突然起きることができなくなりました。

動こう、と思っても動けないのです。

あまりのだるさに、その日はじめて会社を休みました。


その次の日も、そのまた次の日も…僕は休みました。


その後、失声症という声が出ない病気にもなり、

そこまでなってようやく、

「もうこの会社で働くことはできない」と気づき、

やめることになりました。


好きな人と好きなことで活きていく

やめてからしばらくは貯金を切り崩す生活がはじまりました。

結婚して1年でこんな生活になってしまったことに、僕は情けなくなりましたが、妻は喜んでついてきてくれました。

この時、

あなたのしたいことが私のしたいこと

と言ってくれたのを覚えています。


そうして、生きていくために『自分には何ができるのか?』を本気で考えるようになりました。


大した資格も持っていない僕でしたが、

体育指導のバイトでお客さんに喜んでもらっていたことはよく覚えていました。


それから何度も自己分析を繰り返し、

体育と音楽が本当に好きなことだと思った僕は、

体育指導をしながら妻と音楽活動をする道を選びます。


1ヶ月でCDを200枚売ったり、

毎日カルチャーセンターで体育指導したり、

生活するために身を削って働いていましたが、

会社員生活よりもよっぽど楽しかったのです。


これが、

自分のために働く」ことと、

会社のために働く」ことの違いなのかもしれません。



自分のために働くということは、

そこに「自由」がありました。


会社のために働くということは、

僕の場合は「束縛」がありました。


僕にとっては、自分のために働くことこそが自由に働くことそのものだったのです。


今は子どもができて、生活スタイルも変わりました。

具体的にはYoutubeやオンラインレッスンをがんばっていて、

そこにいなくても働ける』仕事を増やしています。


体育の家庭教師や体育教室は、

どうしてもそこに行かなくてはならず、

移動時間がもったいないのです。


今年はさらに自由に働けるよう、がんばります。


今僕は「くま先生」と積極的に名乗るようになりました。

もう、僕はただの「熊谷」ではないのです。


なぜなら、名乗るのだって自由だからです。

僕は、自由にはたらいているのだから。



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