見出し画像

016.いろんな人に会って話すという機会は多いほうが人生豊かになる

先日、専門学校さんの後期授業が終わりました。

専門学校は義務教育ではないため、本人がいかに目標をもってそこに近づくかが重要となり学校はそれをお手伝いするという役目だったりします。もちろん現実には、なんとなく流れで専門に来てしまい自分の目標が定まっていない子達もいます。

「こういうの興味ある」っていう理由で足を運んでみることも立派な理由で、実際に授業をうけ同級生の子達と話しているうちに「なんかおもしろそう。もっとハマってみよう」と感じる子もいれば「僕の進むべき場所は違うかも」って感じる子もいます。「こういう方向進みたい」と言って取り掛かって、数か月後に全然違う方向に進みたいと新たに行動してるっていうパターンもあります。何で変わったのか聞くと、何かしら理由があったりして、聞いてて「そんな理由?」と思ったとしても、本人にとっては正当な理由だったりします。

もちろん、うまくいかないからすぐ諦めちゃうのがいいか悪いかはさておき、それも含め、その子を形成している大事な部分だったりします。ただ本人が「逃げ癖」があるかどうかは普段からのコミュニケーションが測れていないと分からない部分なので安易に判断できないし、もし「逃げ癖」と予測し本人もそれを感じていた場合は今後のその子の生き方にとって重要なことになってくるので繊細な問題になってくるかもです。

私の場合、持病(※記事001等参照)の影響で学生時代は入退院を繰り返したりして、同級生の子達との思い出があまりなかったので、就職するよりか学校行ってみたいというキモチでした。進学したのは工業大学工学部の夜間。父親の思いとは違ったのですが。。。大学卒業して映画館で働きだしたから、、、両親ビックリだったかもです。私自身的には理由がありました。「友達と遊ぶ機会が少なかった分、映画に救われたから恩返しがしたい」って。映画館の次がCD屋さん。似たような理由です。その頃には、普通の人と比べたら体の構造が違うかもと実感する手術入院がありましたが(汗。

自分がそうであったように「Aにいったから、必ずBにいかなくてはいけない」なんてことはないと思うのです。他人の意見はあくまで参考程度に、自分らしい行動ができてれば素晴らしいかもです。

A→B→C→Dと順番に行った方が、大変な思いしなくていいかもしれないし、キズつくことも少ないかもしれない。

でも

そんなにすんなりうまくいく事って現実は難しかったりします。平坦な道が好きな人と平坦な道ではつまらないと毛嫌いする人といろいろです。

自分が気分どん底の時、他人の挙動は華やかで幸せにみえることが多い

逆に

自分が人生で一番うまくなんでも進んでなんでも手に入って幸せすぎると感じてる時、他人の状況ってみえない

それが普通だと思います。

そもそも、生まれた環境も境遇も前提条件が違う他人と比較すること自体がおかしいのですが、比較しちゃうし、なんだったら優劣つけたいし、もしかしたら自分の方がちょっと勝ってるって思いたいという考えもあるかもしれません。

私は「比較するなら過去の私」が信条なので、結構、精神的に楽だったりします。何かしらのタイミングでちょっと自分ご褒美はするし、私に関わってくれる人達が少し笑顔が増えたらとっても幸せ。

私は学校でクリエイティブツールの使い方を教えたりしてるのですが、もしそれが役立たない人生歩んでも、私と会ったことで「40過ぎで杖ついてる人が世の中にはいるんだ」と感じてくれたら、それはそれで、とっても重要な役割を果たしてるのかもなんて思います。

だって

人って、自分の視界に入らないと「存在しない」し「どう対応したらいいかわからない」んですよね。いくらメディア等で、「いろんな人がいる」と認識してても、いざ目の前に現れると驚くしどう間合いをとればいいかわからないし聞いていけないこととかいろんなこと考えて勝手に想像だけ膨らんで、相手のイメージつくってしまいますもんね。

それで

話すと想像と違ってたことになったりします。

数年前まで、杖ついていなかったこともあって、逆に「え!??」そうなのと言われることばかりでしたが(←服着て座ってたら、どこが悪いからない)。。。その時はその時で大変でした。

人は第一印象が大事というのは、何を身につけているかというより、清潔感が大事って意味なのかなと個人的に思います。

どんな格好が流行っていて、それに合わせることで心地よく感じる人もいるわけで、ブランドもピンキリで、選択肢も様々なのだから、財布と相談しながら好きなものを選択し手に取ればいい。

その上で、いろんな人に会って話すという機会は多いほうが人生豊かになるのではなかろうかなんて思います。

そう思いながらも、今年になって画面越しにはじめて言葉を交わすという状況が何度かあったりします。使用するWEBカメラの性能もまちまちで、ネット環境もバラバラなので画面越し感を実感しています。カメラの性能が統一されネット環境がもっと安定したら感じ方も変わるかもですが。

実際に会う場合と画面越しに話す場合とは後々に残る記憶ってかわってくるんだろうな。

これから画面越しに話す機会はなくならないだろうけど、実際に会って話すことってますます大事になるんだろうな。

そんなこんなんで

来月の卒業式は去年と同様の縮小されたものになるのか

気になるところです。

春が待ち遠しい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?