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五十歳を過ぎてから詩を読むこと

「#あの会話をきっかけに」の三回目の投稿をします。今回はできるだけ詳しい内容を書きますね。

九月四日、初めて詩の朗読というものをしてみました。
今のわたしは五十歳を過ぎた男性で、ひなびた和室でひとり暮らしをしています。その日は、障がい者自立支援の仕事を終えて、部屋に戻ったのが夕方の五時過ぎで、日が暮れるのが早くなってきたなという印象をぼんやりと覚えました。そして畳の上にどっこいしょという感じで座り、いつも飲んでいるポッカの缶コーヒーで一服してから、おもむろに机の上にスマホを置いて、詩集を手に取り、一気に動画を撮り始めました。照明を点けずに窓からの光を頼りに読んだので、もう日も暮れていて、心なしか詩集が読みづらかった記憶が今でも残っています。

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仕事から帰ったら、すぐに朗読をしようと思っていました。
きっかけは、SNSでオープンマイク系の詩の朗読をする人たちに、自分の詩を読んでみたいと打診したのですが、読むのにどうしても十五分くらいかかってしまうので、結果的にオープンマイクに参加することができなかったことが理由になります。オープンマイクに併せるなら五分に纏めなければいけない。だけどわたしは、どうしても十五分の詩を読みたかった。だったらどうしようと思い色々と実現させる方法を考えつつも、まずはなんでもいいから詩を読んでしまえと思い、仕事から帰ったら疲れていても関係ないし、時間を置くのももったいないから、部屋に戻ったらすぐに詩を読もう、と思ったのです。
今まで朗読なんかしたことはありませんでした。だからこそ、初めての朗読をしたら、わたし自身にどのような変化が訪れるのだろう、という純粋な好奇心がありました。だからこそ、今までにしたことがないことを、清水寺の舞台から飛び降りる気持ちで思いきってやることが、わたしの人生にとってプラスに働くことが起きればいいなとも思っていました。

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それは、初めての詩の朗読ですが、思い起こせば子どもの頃に、国語の授業で先生に指されて、教科書に書かれている文章をその場で読まされた記憶が残っています。それでも、何で読まなきゃいけないのかがわからなくて、苦痛だった記憶のほうが強く残っていますね。確か、とつとつと棒読みをしたと思います。一方で、抑揚をつけて感情移入たっぷりで読むクラスメートの子がいたのも印象に残っていますね。

大人になって、アニメやゲームの仕事をするようになりました。ゲームではディレクターの役職に就き、企画のプレゼンをしたこともありましたが、これも子どもの頃に教科書を読んだ時と同じで、物凄く苦手でしたね。
そもそも、子どもの頃から喋るのが苦手だったんです。喋って、自分の言葉で、相手を説得するということが上手くいかないタイプの人間でした。
かえって企画書にかわいいマンガみたいな絵を描いて、それを企画会議に参加する人たちに見せながら、自分は口頭でイラストの説明をしながら企画趣旨を伝えるという方法なら上手くいきましたね。

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更に時が進めば、転職をすることになり、転職先の会社で面接をする機会も増えるのですが、今思うと、それも上手く喋れませんでしたね。
恐らく、面接で必要なトークのテンプレートを相手が求めていて、それでいて、わたしのトークはテンプレートからはみ出ていたのでしょう。よく熱意や意欲や情熱を面接ではアピールしなさいと言われますが、わたしの場合はそれをアピールすると喋り過ぎてしまい、相手からうざいと思われたのでしょうね。

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今就いている仕事は、本業が大学病院の看護助手で、副業が前述した障がい者自立支援になります。これらは面接はとんとん拍子でいきました。大学病院のほうは友人が紹介してくれて、東日本大震災の直後で人手不足だったこともご縁に繋がっています。
障がい者自立支援は地元の国立市にあり、わたしの住む家の近所に事務所があります。たまたま電話に出たコーディネーターさんが、フランクで話しやすい人で、わたしも普通に喋って「事務所が近所で、買い物の時よく素通りしてますよ~」と言っただけで、何故か話が盛り上がりましたね。それが面接まで好印象を持続しました。
恐らくこれらのことは偶然に上手くいったのかもしれませんが、過去の面接のように頑なになって話すことよりも、気負わずに自然体で話したほうが上手くいくのではないかと思っています。

少し視点を変えると、実際に本業の大学病院で働いている時は、五十歳過ぎのおじさんのわたしと、わたしの娘と同じ年頃の看護師さんが一緒に働くことになります。わたしはおじさんでも以前に肉体労働で鍛えたマッチョな外見で、そのうえでリアルに喋ると意外にボケボケなので、看護師さんはわたしのことを、わたしの本名の大田からもじって、オオタマンというキャラ扱いで接しています。おそらくスーパーマンかスッパマンみたいなイメージなんでしょうね。

そういうリアルのくだけた感覚は、SNSでやり取りしている時はあまり感じないんですよね。SNSの中の人たちがわたしに気を遣って、一歩引いている感じがします。リアルで看護師さんや障がい者自立支援のコーディネーターさんと話している感覚とはぜんぜん違う。恐らくそれは、わたしがSNSで文章を書くと、今まで溜め込んだサブカルチャーの知識を織り混ぜて吐き出すように文章を書いているから、それが逆にとっつきづらさを与えているのかもしれません。それは、リアルが良いのかSNSが悪いのか、ということではなく、それぞれの違いを一個人として楽しんでいるのが正直な思いです。

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話を戻して、また初めての朗読動画について話します。
ここまで話していて思うのは、おそらくこの動画で喋っているわたしは、面接の時にうざいと言われたわたしや、SNSで周りから一歩引かれているわたしに近いかもしれません。

ただ、もし、できるのであれば、この動画を最後まで観ていただいて、その上で思うところがあれば、いいねをしてもらいたいですね。コメントで感想もほしいですね。
ただ重い、おじさんだから鬱陶しい、だけでもいいです。
あなたの思ったことを、わたしに伝えてください。
それこそが、「#あの会話をきっかけに」というハッシュタグにふさわしい展開になると思うのです。
このことを糧にして、わたしもこれからの人生を歩みたいと思います。