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【6/11の日記】ハハノシキュウさんのライブに行ってきたよ

 下北沢、という駅で降りる事自体が初めてであった。ラッパー・ハハノシキュウさんのライブに行ったのである。ハハノシキュウさんは私の大好きなラッパーなのだが、合同ライブしかやらなかったので今まで二の足を踏んでいた。それが単独ライブをやるというので、大喜びで申し込んだのである。しかも自作解説をやるという。私は自作解説というやつが大好きで、映画を観に行けば必ずパンフレットを買って監督のインタビューを読む。DVDでも監督や脚本家のコメンタリーは必ず聞く。ライブで解説しながらその曲を演ってくれるというなら最高である。

 ライブは、ハハノシキュウさんの朗読(或いは独白)で幕を開けた。死にたさについてのモノローグ的文章である。

 死にたさについて。

 明るくはない。しかし、これ以上彼らしい幕開けもないだろう。彼のほかにこんな言葉でライブを始めようとするラッパーがどこにいるだろう?これこそが彼の彼たるゆえんであるし、彼の独特の存在感を支えるものだろうと思う。ライブの途中で殆どの曲に「死にたい」という言葉が入っている事に本人が気づき、「無意識でした」と呟く場面もあった。そうだろうと思う。悲劇のヒーローを気取りたいだけの、上っ面だけの「死にたい」ならば、こんなに人をひきつけることはあるまい。
 「リップクリームを絶対になくさない方法」という曲も演ってくれた。これはnoteで歌詞だけ読んで一目惚れし、音源をずっと探していたのだが、今回のライブで音源は販売されていないという事が判明した。ライブで時々演るだけ、だそうである。音源が手に入らぬのは悔しいが、初めて実際に聴けて嬉しくもあった。
 怪談イベント「ラッパーの怖い話」で聴いて衝撃を受けた「死体の口からアーモンド臭」も聴くことができて、撮る意味があるのかないのかわからぬチェキも録ってもらった。顔出しせぬ身は不便である。(ヘッダー画像参照、右の黒い塊が私である)しかしチェキというものは通常の写真と違い、「その時」「その場に」「自分が来た」記録であるから、顔のあるなしは問題ではない。アイドルのブロマイドを買うのとは意味合いが異なる。下北沢の美味そうな飯屋を眺めながら歩く帰り道、私はそんなことを考えていた。

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