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やらかし旅行会社vs 呑気ファミリーin韓国

旅行にハプニングはつきものである。
ちょっとした失敗は旅のスパイスとなり、時が経てば「あんなこともあったねぇ。」と笑い話になってよい思い出として刻まれる。

2011年、初めて家族で行った韓国旅行でも、そんなスパイスがひと瓶くらいふりかかることとなった。

当時は第二次韓流ブームの真っ只中。
紅白には東方神起、KARA、少女時代が出場し、テレビでも雑誌でも韓流アイドルが引っ張りだこの時代であった。

この時の私はKARAにお熱で、ニコルが好きでファンクラブにまで入会していた。
父は少女時代のユナが好きで、私の買ったDVDBOXを無断で視聴し、喧嘩になった過去を持つ。
母はチャン・グンソクが好きで「グンちゃん、グンちゃん」と言って、1日中韓流ドラマを流して楽しんでいた。
唯一妹のぬくんには特に推しは居なかったため、我々のテレビ視聴に根気よく付き合ってもらっていた。

そんなわけで家族で韓流ブームの波に乗っていたことと、富士山静岡空港から気軽に行けることが決め手となり、我々呑気ファミリーは期待を胸に3泊4日の韓国ツアーに申し込んだのである。

飛行機が取れてない

ところが、韓国旅行出発の1週間くらい前に父の携帯に旅行会社から電話がかかってきた。

「飛行機の席が取れなかったので、出発を中部国際空港に変更しても良いですか・・・?」という電話だった。

いいわけないだろう。

「交通費はこちらがもちますので・・・。」などと言っていたらしいが、そういう問題ではない。
我が家から中部国際空港まで一体何時間かかると思っているのか。
これでは全く意味が無いではないか!
ちょうど私は父と富士山へ登っていた時だったのにテンションダダ下がりである。

「そんなのありえないよ!抗議するべきだよ!」と父に言うと、下山ルートの端っこで交渉していた。

更に旅行会社は「大変申し訳なかった・・・。」と言って、帰りの飛行機の席のランクをビジネスクラスに上げてくれた。

「それなら最初から席を取ってくれれば良いでは無いか!…」と普通は腹が立ってくるところだが、我々呑気ファミリーは「富士山静岡空港から行ければ何も問題ないのに、席のランクまで上げてくれるなんて・・・なんだか悪いねェ・・・。」と口元をゆるませ、まだ乗ったことのないビジネスクラスに心を躍らせていた。

旅行会社のおかげで、当日はゆったりとしたスケジュールで富士山静岡空港から出発した。
機内では、韓国のCAさんのそっけない対応を目の当たりにし、異国の風を感じ始めていた。

飛行機の中で食べた昼食。

韓国に着くと空港にガイドさんが迎えに来てくれていた。
空港の自動ドアを通ると、あったのはワゴン車。
2つのスーツケースをドライバーさんがさっと車に乗せてくれている。

ガイドさんもドライバーさんも女の人であった。

ガイドはソさん
背が低く、推定身長149cm
静岡のローカルアイドル(?)久保ちゃんに似ていることから、ソ保ちゃんと私は勝手にあだ名をつけた。

ドライバーさんは紹介されなかったが、威圧感漂うマダムは、野村のサッチーのようだったので、ノム婦人とこちらも勝手にあだ名をつけさせてもらった。

韓国は右側通行で左に運転席という日本とは逆のパターン。
ソウルは東京より小さいのに、東京よりも人が多いらしく街は車だらけ。
少々荒いノム夫人の運転にゆられて到着したのが宣陵(ソンルン)・靖陵(ジョンルン)。

ここは世界遺産、チャングム誓いの王様のお墓らしい。

鳥居をくぐると右側に四角い石があって、王様のお墓だから一礼してくださいと言われ頭を下げる。
2つの道の左の広い方が神様の道で、人は通れない。右側は王様の道だそうだ。
熱心に語る親切なガイドのソさんを姉妹はたいそう気に入った。

夕飯はプルコギ。
食後はツアーの体験の一部となっているカジノで1人2500ウォンずつ体験し、高揚感溢れたままホテルへ戻った。
なんでも、明日は7:30にホテルのロビーに集合らしく、そんなに朝早く起きれるかと不安になったのですぐに寝た。

ドライバーノム夫人大遅刻

7:30にホテルのロビーに集合となっていたので、朝6:30に起きる。
呑気ファミリーは早起きが苦手だが「ソさんを待たせてはいけない・・・!」

それだけの使命感にかられ、眠い目を擦りながら懸命に身支度をし、時間通りにロビーのソファーに座って待ったのだが…30分待ってもソさんが来ない・・・。

「朝だから道が混んでるのかもしれないねぇ。」「ソさん寝坊しちゃったのかねぇ・・・?」なんて、ソさんを心配しながらも気長に待っていたのだが…気が付けば8:30…なんと1時間経過していた。

さすがにお腹も空いてきて、私は開店しはじめたホテルのレストランのお粥をガラス越しに恨めしく眺めていた。
するとソさんが凄い勢いで「すいませーん!すいませーん!」と現れた。
その姿はかなり申し訳なさそう。

もちろん私たちファミリーは呑気なので、誰一人として怒ってないし、スケジュールのズレに1mmも焦りを感じていなかった。

それどころか「ソさんだ!ソさんだ!」とソさんを囲み、出会えて喜んでいたのも束の間。

スケジュールがずれ込んでいるのに焦りを感じているソさんは「車(ノム婦人の)が渋滞にハマっているのでタクシーでいきます!」
と、小走りにホテルを出てその小さな体を目一杯のばして、タクシーを捕まえようとアピールしていた。

やっとこさ捕まえたタクシーの運転手さんに何人まで乗れるかを聞いてて、「じゃあ、いいです。」と言うソさん。
運転手さんが「乗らないの?」と聞くと。
「5人いるんです!!!」とソさんは声を荒げた。

ソさんはかなり切羽詰まっていたが、呑気ファミリーは焦らず、ただその姿を見守っていた。
結局私と妹、父と母とソさんで分かれ、タクシーに乗って朝食会場へ行くことになった。
ソさんは運転手さんに2万ウォンを渡し、おつりは貰ってきてくださいねと言われた。

私は静かな車内で、ソさんの2万ウォン…もしもおつりを間違えられたらどうしようと、韓国語のフレーズの予習を何回も練習していた。
私は大学で韓国語の授業を取っていたため、読み書きはできるし、簡単なフレーズはわかるレベルだった。

しばらくして「ここだよ。」と言われて降ろされた。
おつりは合っていた。

しかし、ここだよと言われてもここがどこなのかさっぱりわからない。
朝食会場の名前もわからない。
ソさんはどこにいるのか?私たちはどこへ行けばいいのか?あっちへふらふらこっちへふらふらして迷子になってしまった。

ソさんに持たされたハングルのメモも字が下手で読めない。
アラビア語のようになっていたメモを見て、ソさん相当切羽詰まってたんだろうな…と思った。

誰かに道を聞こうにも通勤前の人が多く、早足なためなかなか声をかけれない・・・。
そんな時、我々を呼ぶ声がした。ソさんだ!

手を大きく振りながら走ってくるソさんがスローモーションに見えた。
「ソさんが走ってきた~。」と感動する姉妹。

結局9:00に朝ご飯となった。

韓国料理というのは、得体の知れない漬け物がよく並んでいるのだが、食べてみると本当に美味しい。元々漬物が苦手な私もむしゃむしゃと食べてしまった。これを機に韓国の備え付けの漬け物が大好きになった。
あれもこれもうまい!うまい!とおいしい朝食を楽しむ我々の元へ、遅れてきたノム婦人がのこのこやってきた。「すみませんでした。」と謝罪し、「渋滞にはまってしまって…。」としっかり言い訳も付け加えた。

しかし、私たち呑気ファミリーは「韓国でタクシーに乗れるなんて思ってもみなかったから良い経験ができた!」と喜んでいる所だったので、大丈夫ですよ~気にしないで下さい。と伝えた。

しかしこの後、私は気付かなかったが後ろの席でノム婦人とソさんが韓国語で口論になっていたことをのちに父が教えてくれた。
今日はスケジュールがずれてしまったので、本来とは違う順番で回るそうだ。

1日限定2回のパレードの終了

食後、まず初めに訪れたのは景福宮(キョンボックン)。

ここでは1日2回、20分程の「守門将交代儀式」という当時の王宮で門を守っていた人達を再現した、パレードのようなものが行われる。
当時の衣装を着てたりして大変面白いらしい。

ソさんは非常に焦っていて「チケットを買うので、先に行って下さい!」と我々を突き放した。
なにせ朝からスケジュールが大幅に遅れているのだ。
我々は、突き放されてちょっぴり寂しくなってしまい、ソさんを1人で置いていってしまってはいけないとチケットを買うソさんを待っていた。

チケットを買い終えたソさんは呆然。
その間にパレードは終わってしまった・・・。
ずらずらと帰る人を見て「ぁあ・・・だから言ったのに・・・。」とがっかりするソさん。
これで、1日2回しかないイベントが終了した。

朝の遅刻といい、ソさんに緊張が走る。

しかし、ここでも何も気にしていない呑気ファミリー。
まだ入り口にはコスプレした人達がいたのでそれを見るだけで満足だった。

それよりも我々はソさんと記念撮影をしたかったので、もじもじとしながら写真をお願いした。
「いいんですか~?」というソさんを間に挟んで1枚撮った。
大切な旅の思い出を私たちはソさんと一緒に楽しみたかったのだ。

バスの運転手にしこたま怒鳴られる

世宗路(セジョンロ)へ行ってハングルを作った人の像を見て、また免税店へ連れて行かれた。この旅では飽きるくらい免税店がスケジュールに組み込まれている。
ここはノム夫人が遅刻して予定が狂おうが、何が何でも寄るらしい。
この日行くはずだった紫水晶店がおじゃんになっても免税店にだけはしっかりと連れて行かれたので、執念すら感じた。

免税店は車通りの激しい道にあり、そこで我々は降ろされたのだが…あとから来たバスの運転手に物凄い形相で怒鳴りつけられてしまった。
もしかしたら、ノム婦人が車を停めたところがバス停だったのかもしれない。
呑気ファミリーはわけもわからず怒られてシュンとしてしまった。
ノム婦人のミスのせいで我々が怒られてしまい、またしてもソさんに緊張が走ったが、怒られたことなんて5秒もすれば呑気ファミリーは忘れていたのだった…。

ドライバーノム婦人事故る

こうして、待ちに待ったお昼の時間となった。
韓国料理はおいしいので、食事の時間が楽しみで仕方ない。
お昼を食べるお店は路地にあるらしいのだが、どうやら道を間違えてしまったようだ。
ノム夫人があわててUターンしようとバックした瞬間…ドン!と車体がそのまま家の塀にぶつかってしまった。
あ…と頭が真っ白になる呑気ファミリー

「大丈夫ですか??」

助手席にいたソさんは振り返り、我々を気遣ってくれたが、我々はどちらかというと車のへこみの方が心配だった・・・。
その頃母は、韓国の運転というのはこれが通常運転だと勘違いして、とてもワイルドだと文化の違いを感じていたそうだ。

そのままお店に着き、昼食のビビンバを美味しく食べていたのだが、突然見知らぬ男の人が現れ、ソさんが「会社の部長さんです。」と紹介してくれた。
突然の部長さんの登場に訳が分からなくなり、とりあえず話を聞く。

ソさんは車をぶつけてしまったことを会社の部長さんに報告し、部長さんはそれを詫びに来てくれたのだった。

ぶつけたと言っても少し「ドン!」となっただけだったし、家族の誰一人あれを事故だとは思っていなかった・・・。
むしろ我々は車は大丈夫なのか?くらいに思っていた。
それなのに部長さんは「申し訳なかった…。」と膝をつき、我々の前で土下座した。
呑気ファミリーはびっくりしてしまい。
そんなに気にしないでくださいと部長さんをなだめると、部長さんはお詫びにチヂミをご馳走してくれた。

交通事故のお詫びがチヂミなんて聞いたことがない。
今振り返ればどこまで呑気なんだ…この家族は…と思うが、このチヂミはこれまで食べてきたチヂミとは違って、サクサクパリパリで感動するくらいおいしかった。
こんなにおいしいチヂミをごちそうしてくれるなんて…!と呑気ファミリーは皆喜んで食べた。
私達はこれを「部長さんのチヂミ」と呼び、このおいしさはずっと語り継がれることになった。

もしも他の旅行者だったら「身体が痛い…。」などといって保険料をふんだくられていたかもしれない。チヂミで大喜びするなんともちょろい呑気ファミリーだったことに感謝して欲しい。

今朝の遅刻といい、そこからのスケジュールのズレやこの事故・・・。
呑気ファミリーは1mmも気にしていなかったが、ソさんには相当なプレッシャーを与えていただろう・・・。
むしろ、我々が気にしていないことがソさんに余計なプレッシャーを与えていたかもしれない…。

ご飯を食べると車が変わっていた。
車だけで無くドライバーも変わっていた。
我々は、ノム夫人が解雇されたんじゃないかと心配になった・・・。
案の定ノム夫人の姿を見るのはこれが最後となった。

さよならノム夫人…。

ソさんとの別れ

午後は韓国村を回った。
ドライバーのおじさんはノム夫人よりも安全運転だった。
韓国村では韓国の昔の暮らしが再現されていて面白かった。

この日は明洞で解散となるのだが…なんと、ここでソさんとはお別れだというのだ…。
明日は自由行動、明後日帰る時はキムさんという別のガイドさんが来てくれるらしい。

私達家族は本気で悲しみ、「ソさんがよかった~。」とソさんを困らせた。

ソさんは私達に気を遣って、日本語が大丈夫なお店をいくつか紹介して、ホテルへの帰り方を教えてくれた。

3日目は自由行動。
父と母は南大門へ姉妹は清潭(チョンダム)へKARAのニコルママが経営しているという焼き肉屋さんauraTHEGRILLへ。
このお店に…もしかしたらニコルが…?などとメルヘン少女の気持ちで入店したが、値段が高すぎて写真の数枚の肉を食べただけで1万円以上とられてレジで唖然とした記憶がある。

(2012年閉店)

事前にこのお店の予約をソさんにお願いしていたのだが、予約していたイチオシの「熟成なんちゃら肉」とやらも特にびっくりするほど美味しくもない…この値段はもしかしたらサービス料かもしれないし、韓国語しか通じない店なので泣く泣く支払った。

もちろんニコルママが経営しているだけの店なので、店にはママもいなければニコルもいない。
お花畑だった私の心にはすっかりと木枯らしが吹き始め、そのレシートはメルヘンの世界から現実世界に引き戻してくれた。
ただただ高いだけの肉を数枚を食べただけで終わったのである。

次にKARAもよく来るというドリンク屋さんのCOFIOCAへも行ってみた。
KARAのギュリ、少女時代ユナおすすめのストロベリーコラーダを飲んでみたが、びっくりするくらい美味しくて焼肉の傷が少しばかり癒えた。

推し活を済ませると、姉妹は文房具屋さんへ入った。
お世話になったソさんに感謝の気持ちを込めてメッセージカードを渡そうと考えていた。ハングルのシールやメッセージカードを購入して、明日のガイドのキムさんに渡してもらおうとしていた。
慣れないハングルで書いた手紙を見たら、ソさんは喜んで泣いてしまうんじゃないだろうか?

夜は父母と合流して、焼き肉を食べることにした。「あんたっち、昼に食べたじゃないだか?」と、言われたが、昼間の肉では高いだけで全く物足りなかった。韓国といえば焼肉!おなかいっぱい食べて満たされたかった。

ホテル周辺を探してみると、ちょうど焼肉屋さんを見つけたので入ることにした。
そこは日本語も英語も通じない、韓国語のみの店であったが、私がガイドブックの韓国の料理の肉の種類がたくさん載ってるページを見せると、お姉さんが指をさしてこれがある、これがあると教えてくれた。

私たちはお姉さんのお勧めを信じて、それを1つずつ注文した
「ハナ?」(1つ)と聞かれて、それぞれを指さして「ハナ、ハナ、ハナ」と私。

カルビとコプチャンとマクチャン?かなんかだったが、コプチャンがめちゃくちゃおいしいではないか!本当に今まで食べた焼肉店のどの店よりもおいしく、私はえらく気に入ってしまった。

美味しいだけではなく、店の人もあたたかかった。
「マシソヨ~」と言うとお姉さんは「ぉぉ!!マシソヨ??」ととても喜んでくれて、お姉さんが何かしてくれるたびに「カムサハムニダ」というと、「カムサハムニダだけじゃなくてコマウォヨもありがとうなのよ~」と韓国語を教えようとしてくれてた。

トイレに行きたくて、お兄さんに「トイレはどこですか?」と聞いたときは、店の外にある場所まで連れて行ってくれた。
紙がないので走って用意してきてくれて、本当に優しかった。
こんなにあたたかい店が今では閉店してしまったようで残念でならない。
4人でお腹いっぱい食べても、昼の高いだけの焼肉屋より安かったのを私は見逃さなかった。

こうして、韓国旅行最後の夜を大満足で終えた。

添乗員キムさんに置いてかれる

最終日、5:50にロビーへ集合なので5:00に起床。とにかく朝が早い旅行である。
この日は私の誕生日で、ぬくんに「おめでとう。」と言ってもらえた。

私たち呑気ファミリーは帰りの飛行機のビジネスクラスが楽しみでしかたなかった。
なにせはじめてのビジネスクラスなのだ。ルンルンである。

ホテルにはキムさんという女のガイドさんが迎えに来た。
我々はキムさんに夜な夜な書いたカードを「ソさんに渡して欲しい。」とお願いした。

帰りの車もまたいつものワゴン車かと思いきや、どでかい観光バスがやってきて他の観光客と一緒に詰め込まれた。
総勢40名ほどと言ったとこだろうか?

仁川空港で、キムさんが総勢40名いるであろう大人数の航空券の手配をしているのを見て、「あれを一人でやるんだから大変だね~。」と母は他人事のように見守っていた。

荷物を預け、手続きが済むとキムさんに「あちらのソファーで待っていて下さい。」と言われたので待つことにした。

・・・・・・・

・・・・・・・

・・・・・・・

しかし、いくらあちらのソファーで待っていてもキムさんは現れない。

まだ待ってみる。

・・・・・・・

来ない。

何やら先ほど父がキムさんらしき人がソファーの横を通ったのを目撃していた。

もしや…置いて行かれたのではないか…?

我々は不安になってきて、手続きの列に並んでみるも、この列で合っているのかわからずに引き返すことにした。
当時の私は国際線の乗り方なんて知らない。
折り畳み携帯の時代に調べる術もない。
こういうことが不安だから今回ツアーを申し込んだのだ…。

またしてもあちらのソファーに座ってもキムさんは来ないわけだが、来てしまった場合に入れ違いになってしまうため動くに動けない。

時計を見ると9:20くらいになっている。

飛行機の出発は9:50

出発は刻一刻と迫っている。
国際線は手荷物検査と出国審査をしなければならず、残された時間があと30分なのは非常にまずい。

「このままじゃ帰れなくなるぞ…。」

うつむきながら少し震えていた父の焦り具合は尋常ではなかった。
私はキムさんはもう来ないことを悟り、急いでインフォメーションカウンターへ電話を借りに走った。
もう頼れるのはソさんしかいない…!

受付の人に「Excuse me …I have trouble…ytrqりえsぴf;」と訳の分からない英語で話しかけるも、「日本語で大丈夫ですよ。」とあっさり言われてしまった。

電話を借りてソさんへ連絡。

「ヨボセヨ~。」とソさんが出て私はいくら待ってもキムさんが来ない現状の説明をした。
ソさんは焦ることなく冷静に「キムさんに連絡してみます。」と言って電話は切れた。

私がソファーに戻って数分後…。

「呑気ファミリー様ぁあああああああああ~!」

と、長い髪を左右に振り乱してキムさんが走ってきた。

どうやら、私たちを見かけなかったので、先に行ってしまったのだと思ったらしい。
ノム婦人といい、いいわけが多い韓国人である。
我々は指示通りあちらのソファーで待っていたのだ…。

飛行機の時間を聞かれたので9:50だと教える。残された時間はあと20分。
それを聞いたキムさんは「ぁああ~。」とうなだれて漫画のように頭を抱えた。

頭を抱えたいのはこっちである。

猛ダッシュで私たちを案内する。
キムさんはずらりと並ぶ列の前に立ちはだかり、並んでいる人達に大声で韓国語で話かけていた。
多分、「この人たち、飛行機に間に合わないんです!どうか入れてあげて下さい!」とでも言ってるのだろう。私のせいで遅れている!ということもあわせて付け加えて欲しいものだ。

「さぁ、列に割り込んで行ってください。」
無責任ながらキムさんとはここでお別れ…。

私は怒られるのが怖くて、大声で「チェソンハムニダ(申し訳ない)」を連呼しながら並んでいる人達をほとんど抜かして手荷物検査と出国審査を終えた。

家族全員が集まった時、飛行機の出発まで残り10分もなかった。
なのに搭乗口は1番遠い場所にあるではないか…!

「走ろう…!」

呑気ファミリーはアジア大規模空港仁川空港を全力で走った。
ちなみに羽田よりも広い。

まさか、こんな異国の地で家族全員が全力疾走することがあるなんて思いもしなかった。

父も…そして母も走っているのである…。
スポーツのビデオ判定を見るかのように、私の目には全員の走りがスローモーションでうつった。
大人が必死な姿というのはなんとも面白い。
後から聞いた話だとこの時母は、「元陸上部舐めんじゃねぇぞ!」とやたらいきり立っていたそうだ。
走る中で「家族の中でも1番足が速い私が先に着いていれば、もしかしたら1分は待ってもらえるかもしれない…!まさかビジネスクラスの乗客を4人も見捨てまい…。」と思い立ち、家族を置いてひと足先に搭乗口へ向かった。

結局、家族全員が3分前に到着して無事に飛行機に乗ることができ、呑気ファミリーはほっと胸を撫でおろした。

本当に最後の最後までやってくれた旅行会社であった。
ノム婦人だけで終わらず、キムさんという伏兵をよこしてくるとは…私の誕生日にとんだ爆弾をプレゼントしてくれたものである。
さすがに呑気な我々ファミリーもこの時ばかりはヒヤヒヤした…。
まさか、楽しみにしていたビジネスクラスまで目の前で消えかけるなんて思いもしなかった。

とはいえビジネスクラスはとても快適で、食べたこともない美味しい機内食に舌鼓をうち、母なんかワインをおかわりまでしていい気分になってぐっすり眠っていた。

家に帰ってくると留守電に旅行会社から深刻な様子でお詫びのメッセージが入っていて、折り返しの電話が欲しいということだったが、我々はこれ以上やらかされることを恐れ、その電話を折り返すことはなかった…。

完。

執筆のおやつにヤングドーナツをたべます🍩🍩🍩