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180/応援し合える文化

2023年10月16日(月)
がん告知から180日目
※3,429文字


こんばんは。

朝夕はかなり寒くなってきましたね。
今日は昼あたりまで寝ていて、
ヨーグルトを食べて、
そこから16時前まで寝ていました。
(今夜は寝れるかな)


さてと今日は、
「応援する応援される文化」というテーマで書きたいと思います。

一昨日、昨日の投稿の“その先”のお話です。

※先に、一昨日、昨日の「当事者へ」の記事を読んでいただくと話がスムーズかと思います。


▼応援されるのってズルイ?


前にもこんな内容のことを書いた気がしますが、
改めてと言うか新しくと言うか。

結論から言うと、
「応援した人が次には応援されて、
応援された人が次には応援して、
応援し合える文化(風潮)が広がると優しい社会になるよね」
です。


その典型例として、
クラウドファンディングがありますが、
まだまだ世間一般の理解が追いついていない気もします。

僕がやっている「Amazonリスト」も、
まだまだ「人様に買ってもらってる」感が否めません。

そして、寄付も…。


そこにあるのは、
(僕への個人的な感情は抜きにして)
応援(支援)される側を「ズルイ」「セコイ」と、
捉えてしまう感情がどこかにあるのかな…と感じています。

「頑張って欲しい!」
「応援したい!」

って気持ちが大きい人は、
「(損得抜きで)応援(支援)したいからしている」だと思うんですが(僕はそうです)、


そこまでの気持ちがない人は、

「他人からお金を集めて」とか、
「他人から買ってもらって」という、

応援をされている人が「得をしている」と、
思っているのかなぁ。

あるいは、
自分もこんなに大変なのに、
「あの人だけ得して(応援されて)ズルイ」って、
気持ちがどこかにあるのかなぁと思っています。

それが答えとは言い切れませんが、
クラウドファンディングにしても、
寄付にしても、

「得してる」「あの人だけ」「ズルイ」
そんな気持ちがあるような気がしてなりません。


▼寄付や募金していますか?


クラウドファンディングや、
寄付の文化が、
日本で広がらないのは、

理解不足の前に、
先ほど書いた「感情」が先行していると、
僕は思っていて(主観です)

だから、
「24時間テレビ」のように、
障がい者を見せ物にして、
(僕にはそう感じます)

感動物語を使って「同情」を誘わないと、
「募金」が集まらない。


『そんなことはない』と言われるなら、

『24時間テレビ以外で応援や寄付はしましたか?』
と聞くと、
ほとんどの人はしてないと思うし、

むしろ他人を応援する人は、
「24時間テレビだから」とか、
「チャリティーイベントだから」ってのを抜きに、

頑張っている人、
頑張ろうとする人を応援していると思う。


▼応援の形


この流れで書いちゃいますが、

「応援」って、
『頑張ってね』
『何かあったら協力するよ』
の言葉だけじゃなくて、

「形」に残すことが、
「本当の応援」になると思うんです。


一番分かりやすくて、
一番助かるのが「お金」ですね。
(みんな「銭ゲバ」扱いされるのが嫌で表立って言わないけど)

次には「必要な物資」です。
(コレもある意味ではお金と同等)
※ここで重要なのは必要な物です。

(話が少し逸れますが)

東日本大震災の時に、
被災地に沢山の千羽鶴が各地から届きましたが、
それらは「ゴミ」にしかなりませんでした。

『人の想いをなんだと思ってんだ!』
『みんなで作ったんだ!』

そう思われる方もいると思いますが、
冷静に考えてくださいね。


被災して一番必要な物は「お金」であり、
次には「不足している物(食料、生活品など)」です。
※不足している物は“本人にとって”です。

千羽鶴は、
(気持ちは嬉しいけど)
全国各地から届いて、
倉庫のスペースを使って、
あげくゴミ処理まで被災地にさせていました。

衣類も全国各地から届きましたが、
大きな体育館のスペースを塞ぎ、
サイズなどを仕分ける人の労力を使い、
中には洗濯もしていないカビ臭い服も大量にあり、
あげくほとんどがゴミとなり、
焼却処理まで被災地が行いました。


(寄付をして本人が必要な服を買うか、
Amazonリストで本人が欲しい物を支援した方が良くないですか?)

※僕は岩手県出身で被災はしていませんが、
震災時は地元にいました。
千羽鶴や衣類に関しては、携わった人の声を書いています。


衣類に関してさらに言えば…
(さらに話が逸れます)

「発展途上国へ着なくなった服を届けよう」
ってメッセージ聞いたことありませんか?

「発展途上国 衣類 末路」で、
検索をしてみてください。

世界中から届く衣類
衣類の山

ここまでの量ではないものの、

被災地に届けられた衣類は、
大きな体育館に運ばれ、
その中から着れるような(汚れなどが少ない)ものを、
サイズや男女別に選別をして、
その後に被災地各地に届けるも、
結局はほとんどが余ってゴミになりました。
(体育館のスペースも、仕分けや届ける人の時間も労力も無駄じゃない?)

※被災者はそんなことは口には出しません。
千羽鶴にしても衣類にしても、
『善意で送ったのに』
『こっちの気持ちを無駄にして』
と言われるのがオチだからです。


(話を戻します)


応援(支援)をするのなら、
「形に残す」と書きました。


もちろん、
お金での「寄付」や、
本人が必要な物の「支援」が、
とても助かりますし、
僕もとてもとても助かっています。


これらは「お金」がかかりますが、
「お金」をかけなくても、
「応援を形」にすることはできます。


(いろんな例があると思いますが)

僕の場合だと、

「SNSのシェア」「フォロー」「いいね」が、
とても嬉しいです。

FacebookやInstagram、
このnoteも毎日のように投稿をしています。

それらを「シェア」してもらえるだけで、
情報発信者としては嬉しいんです。


あとは、
公開・非公開問わず「お話しする機会」を、
作ってくださるのも有り難いです。

僕のことや発信を知ってもらえる機会であれば、
無料でもお受けしています。

お金を使わなくても、
応援はできるし、
応援したい気持ちがあれば、
相手が喜ぶことを想像できると思います。

※僕の応援をして!という話ではないです。
(してもらえたら嬉しいです)


長くなってきたので、
話をまとめながら結論へ。


▼最後に…



応援する人のことを、
結構長く書いちゃいましたが伝わりましたか?

「応援してるよ」の気持ちは嬉しいけど、
「形」にしてくれたら、さらに助かる!

ということを伝えたかったです。
(物は必要な物を聞いてから)


そして、
もう一つ大事なことは、

「応援をしてもらう人」は、
今まで誰かの「応援をしましたか?」です。

正直、僕はこの質問をされたら「NO」です。

沢山の応援をしてもらっていますが、
「過去にそれだけの応援をしてきたか?」と、
問われると胸を張って「はい」とは言えません。
(少しはしてきたのかもしれませんが…)

もっとたくさんの応援をしてきていたら、
僕はもっと応援されていたと思います。

「応援をされる人」は「応援をしてきた人」

そう思っていますというか、
これはそうだと言いきれます。

見返りを求めての行動は話が違いますが、
“返報性の原理”を改めて実感しています。

「もっと応援できただろう」って。

だから今の僕にできることは…

応援してくれる人達へ、
「恩返し」をすること。

応援してくれる人達が、
「挑戦」や「困難」に立ち向かっている時には「応援」をすること。


「恩返し」も「応援」も、
クラウドファンディング、
寄付、募金、支援、シェア、いいね…
形に残してやれることは沢山ある。

応援した人が応援される。
応援された人が応援する。

「応援し合う」文化を作ることは難しいけど、
そういう風潮とか社会になれば、

病気でも障がいでも挑戦でも、
みんなで応援しあって、
みんなにとって温かいし優しい社会になると思う。

そういう発信をされている方や、
そういう想いを持っている方は、
僕が知らないだけで沢山いると思うけど、

僕の周りでも、
そういう文化が広がっていけば良いな。
と思っているし、

損得抜きで、
「応援し合える文化」というメッセージを、
僕は伝えていこうと思っています。


2023/10/16
熊谷翼


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