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2020/1/4の日記

今日は財布を蛍光色のジャンパーを着ているおじさんに盗まれる夢からの目覚めでスタートした。どういう人生歩んだらこんな夢を見るんだ、最悪だ。

今日1月4日はうちで飼っている犬バニラの誕生日だった。
17年も生きるとは飼い始めたころは思ってもいなかった、本当に長い間よく生きてくれている。
というのもバニラはこれまで何度か息を引き取りかけている。
初めて死を覚悟したのは昨年5月のある日、兄がいつもと違う様子で僕の名前を呼んだ。慌てて向かうと目に映るのは、舌をだらんとたらしたままひっくり返って自力で立てなくなっているバニラの姿だった。一、二年前から耳が聞こえなくなり、瞳は白く濁って見えなくなっていたし、昔はソファやひざの上に飛び乗ることができていた身体も、階段などの段差一つも上がれなくなるほどに老化していた。本当にいつ倒れてもおかしくない状況だった。そんな姿を見ていたから、目の前で立ち上がれなくなっている姿も、ついに来たかと心のどこかで受け入れている自分がいた。正直、死を確信していた。すぐに病院に連れていくか迷ったけれど兄と話して、最期だから抱きしめてあげようと抱えて撫でてあげた。

治った。

兄の腕の中で何事もなかったかのようにけろっとしていた。
死を覚悟したあの時の気持ちはなんだったのか、まあ何はともあれ無事なことに越したことはない、その時のおかげで余計に愛が強まったのは間違いなかった。
落ち着いた後に病院に連れていくと不整脈と診断された。普段から心臓が定期的に動いていない瞬間があるらしく、それが連続してしまうと発作を起こしてしまうとのことだった。発作を起こしたときは、抱きかかえて撫でてやると落ち着きやすいらしい。意図せず最適解を出していたみたいだ。本当は勝手に死ぬと決めつけて「最期くらいは、、」とか言っていただけだけど。
それからは定期的に発作を起こすようになった。処方される薬も少し増えた。家で一人にすると(一匹というべきか)発作を起こしたときに助けられる人がいないというのは困るので家族の誰かが常に家にいるという決まりが一家に設けられた。病院の先生には正直夏の暑さを越えられるかどうかはわからない、と言われていたのでみんな何となく今年中に(昨年中か)息を引き取る覚悟はしていたと思う。
そんな状態のバニラが夏を越え年を越し、今日、誕生日を迎えたのだ。
こんなにめでたいことはない。誰かの誕生日にこんなにめでたいと思ったこと、うれしい気持ちになったことは初めてかもしれない。ありがとう。

自分が今21歳なので、人生の四分の三くらいは一緒に過ごしていることになる。正直あまり身内の死にまだそれほど触れてきていないから、しんどいだろうな。田舎に住んでいる祖父は生まれたころにはもういなかったし、知っているのは写真だけで正直わからない。去年は祖母が亡くなって大泣きした。年に一度会うくらいで、ここ数年は会ってすらいなかったけど大泣きしたのだ。だから、これだけ身近で長い間一緒に暮らした存在がいなくなったらどうなってしまうかわからない。大体今だって少し泣きそうなのに。

年を取るにつれてかそれとも昔からか、かなり涙もろいらしい。
涙もろいことを人に話すと意外がられることが多い。全然泣かなそう、とか、あまり感情がなさそう、とか。感情をあまり外に出さない人間だと思われていることが多々ある。僕に興味がないだけだろうけど、僕のそういう深い部分を知っている人は多分いない。この日記は案外中身をさらけ出しながら書いているので毎日読んでいたらそれなりに僕のことを知ることができると思う。

知ったらなんだって話だけど。

万が一お金を捨てようという発想に至った場合のみ僕に引き受けさせてください。リターンはありません。