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「みんな」という言葉

「みんな」という言葉。

聞いた事のない人はいないだろう。
でも、「みんな」が意味を理解しているだろうか?

「みんな」の意味を、インターネットで検索すると、「皆」と示されるよ。
「皆」を調べると、「残らず。ことごとく。全て。全部。」と示されるよ。

つまり、「みんな」=「全員」なんだね。
「みんな」が漠然と、そんなの当たり前、と思うだろう。

でもね、よく考えるとどうなんだろう。
全員という意味で使われているだろうか。

「みんなのために」
「国民のみなさん」
「クラスのみんなのため」

こういう言葉は、
「全員のために」
「国民全員」
「クラス全員のために」
という意味で使われているだろうか。

その通り、という事もあるだろう。
でも、実際には、そうではない事も多いと思うんだ。

「みんな」という言葉が、
「全員」じゃなく、 「大多数、または、一部の主要な人」、
という意味で使われている事も多いのではないだろうか。

どちらかと言うと、
「みんなのためならば、一部の人は犠牲になってもよい」
そんな前提の元で使われる事すら多いと思うんだ。

「One for all, All for one.」
この言葉は、「三銃士」というお話の中で、
三人の銃士が、志と結束を誓う言葉だそうだ。
「一人はみんなのために、みんなは一つの目的である勝利のために」
そういう意味だそうだよ。

だけど、言葉の意味が、違う意味に捉えられている事も多いようだ。
「一人はみんなのために」
この言葉はもしかして一人歩きして、あたかも、
「一人はみんなのために犠牲になるのが当然」
そんな意味で使われている事もあるみたいなんだ。

だけど、その場合ね、言葉の意味がおかしくなるよ。
「1人が全員のために犠牲になる」
これは矛盾だ。
その「1人」は「全員」の一部だからだ。

「一部である1人は多数のために犠牲になる」
これならば、意味は矛盾しない。
でも、これならば「みんな」「All」の意味は、
「全員」ではなく「一部の多数」という意味になる。
どうやら、言葉が歪められているみたいだ。

「みんな」=「全員」の意味として使う人。本来の意味。
「みんな」=「大多数、または一部の主要な人達」の意味として使う人。
「全員」として使う人、「一部の多数」として使う人、両方いるよ。

でも、「全員ではなく一部だけ」として使っているのに、
あたかも「全員」として誤解を与えるように、
「みんな」という言葉を大義名分として使われている事があるみたいだ。
「全員」として使う人は誤解するんだ。
そうして「みんな」納得させられて、だけど、実は「一部」なんだ。
そんな場合があるような気がするよ。
こういう言葉のトリックによって、物事が歪められている事は、けっこう多そうだよね。
多すぎて、言葉の意味に不感症になっている、そういう事もありそうだね。

「多数または一部の主要な人達のためならば、一部の人は犠牲になってもよい」
それは「いじめ」だ。
だけどこれが、世界中でまかり通って来た歴史だね。

かつて「一億総中流」という言葉があった。
豊かな人が多かったんだね。
でもそんな時代だって、中流でない人もいたはずだね。

「総」の意味も「全て」だ。
でも「総」も、「みんな」と同じように、「全員」として使われていなかったんだ。

「総」「全員」「みんな」に入らない人がいる、って事になるよ。
それは、とても悲しい事だね。

本当は、「みんな」は、全員だ。
だから「みんな」に入らない人なんて、本当はいないはずだ。

「国民のみなさん」
「みんなの幸せ」

こういう言葉が全員として使われていない時、
「国民」「みんな」=「一部の人」として解釈するとしっくりいくよ。
「一部」のために、「みんな」を納得させるための歪みだ。

「みんな」という言葉。
この言葉が歪んだ時、一部の人を「みんな」と言う時、
言葉に意味があるだろうか。

この言葉を「みんな」が大事にできるならば、
本当の意味で、いじめも戦争も争いも、なくなる日が来るかもしれないね。

「みんな」が望むならば。

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