子供が幸せになれば犯罪は減る

生まれ持った変えられない性質が起因とする犯罪を除き
凶悪な犯罪の根本原因は社会が子供に優しくない事だと思う。
凶悪犯罪を犯した犯罪者の大多数が何らかの虐待を受けてきた経験がある事は有名な話である。

生まれてきた命は、まっさらなノートのようなもので
何の力も持たないまっさらなノートは
誰が守ってくれるのだろう。
一度傷ついたノートは元に戻らない。
そのノートに何を書き込むのは自分だが
破られたり
傷つけられたり
汚されたり
落書きをされたり
他者からの影響も受けてノートは作られて行く。

大人になれば
知恵や力がついてきて
ノートに危害が加えられないように
カバーを付けてみたり
頑丈なケースに入れてみたり
鍵をつけて中を空けられないようにする事も出来るようになるだろう。
でも、かつてまっさらなノートだったものがどうなっているかは変えられない。
傷も破いた跡も汚れも落書きの跡も
まっさらには戻らない。
どうやったら外見からは分からないようにするかのテクニックが身に着くだけ。

自分のノートは、もう変えられないけれど
まっさらなノート達が、無用な痛みを味わう機会を
かつてまっさらなノートだった大人達は築き上げて行く事が出来る。

犯罪はいけない事。
起きた原因が分かっているなら
未来の被害者と加害者を出さない為にも
不幸な子供をなくす努力をする必要があるだろう。
明日は我が身。
いつ自分の家族が、自分自身が、被害者か加害者になるかはわからない。
それも愛情不足によるものならば、愛が必要です。
世界には愛が足りてない。
そう元放置子は思います。
私が犯罪を犯さなかったのは、怒りが外ではなく内側に向いたからです。
そして傍観者、心を鈍くして考える余地を残すという後天的か先天的かは分かりませんが、その性質も大きいです。
外に向いていれば、私も犯罪を犯していてもおかしくなかった。
憎んだり恨んだりするエネルギーが無かったのもあります。
疲れるので私には向いてない。

全ての人が犯罪を犯さないから、犯した人間は駄目な人間だという人がいますが、それが全てではありません。
たまたまです。
私自身もなにかきっかけがあれば、不条理な状態に怒りが爆発して犯罪者になっていたかもしれない。
運が悪く出会いに恵まれず、犯罪者になる以外の選択肢しか思い浮かばない病んだ思考を持った不幸な人が犯罪を犯した。
運が良く出会いに恵まれて、普通の人生を歩く事が出来た人がいる。

罪の内容によっては、精神鑑定いらないと思ってます。
養育環境と犯罪は別に考えるべきです。
被害に合った人にしたら、養育環境なんて知ったこっちゃないでしょう。
ただ明日は我が身という視点は常に必要で、人としての尊厳を何らかの形で犯罪という形で侵害した場合と、された場合の当事者としての両方の思考を我が事として問いかける必要があるでしょう。
両方の視点で考える事で、立体的にリアルさを増して感じる事が出来ます。

愛された子供は、子供を愛し、その子供も、自分の子供を愛し
愛に溢れた家族が出来、地域が出来、国が出来、世界が出来る。
愛は、
愛している
と言葉に出すものではなく
滲み出るものだと思います。
だから
愛している
を多用すると白々しくなる。
どうしてもそれ以外の言葉が相応しくないとか
言わずにいられなくて溢れてくる時は
心が籠っているので素晴らしい事ですが
一生のうちで、そんなに多くないのではないでしょうか。
しょちゅうその状態ならば、素敵な人生で称賛したいです。

私は家族から数十年かけて愛を教えてもらいました。
逆に如何に親が私を愛していなかったかも、未だにわかる瞬間があります。
過去の何気ない出来事を、ふと思い出して
あれはああだったんだなという感じに
光も増え、押さえつけていた闇が零れだす。
零れだした闇は
吸収→消化→分解→栄養と排泄物という肥しになる。
命の尽きるまで細々と続くと思いますが
否定のループから脱却出来たからこその現象です。
半世紀ほど生きても、まだ整理整頓が終わってませんが
死にたいとか、自分が嫌いとかは今は無いです。
長生きしたいとか、自身があるとかも無いですが、
マイナスじゃなくなったのは幸せだからかなと感じます。

愛は地球を救わない。
救うものは地球ではない。
愛を地球に満たせば、命は救われる。
不幸な命は幸せな命になる。



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