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陳腐なラブソングのニーズ
最近、今さらながらに気づいたこと
平成の時代から、ホント世の中ラブ・ソングばっかだなあと思っていて
なぜ飽きない?という気持ちが大きかったのだけれど
それに、歌詞の出てくる恋愛のパターンというのは、大まかにわければ数種類しかない。
それをびみょうにアレンジしているだけ。
つまり、大量生産の「産業」なんだよね。
コンビニで菓子のところにいくと、いろんなアレンジされたチョコレートがたくさんあるでしょう?各社の。
あれと同じなのだろうと思う。
菓子は食べられ、歌は消費される。
ラブ・ソングは、常に、いつの時代もニーズがある。
チョコレートは常に、いつの時代もニーズがある。
ここまでが前置き。このような論すらもう出尽くしている。
でもこないだ気づいたのは、あ、そうか。
「歌いたい人間がいる」
のだな、と。
ニーズがあるのは、実は聴く側ではないのだ。
人は、ごくごく一般的な恋愛をするものであり、それをドラマティックに脚色して、世に知らしめたいものなのだ。
「聞いて聞いて!」と。
いつの時代も、自分の恋愛を晒したい人間がいる。
それは、古今和歌集の時代から続いてるんだった💦
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