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仕事論:なんでもかんでも管理職に責任とらせてきたのが間違い。

以下のことについて、1年ぐらいかけて考えていきたい。今年の裏テーマ。


官僚とかが、誰かの不正の責任をかぶって自殺したりするじゃないですか。あれを、日本人全体が、この国では仕方のないことだと半ば許容してきたんだよね。

それの異常性にとっとと気付くべきだったんだと思う。

自分のような立場の人間(パートナー要員として会社に常駐)でも、加齢とともにリーダ業務を任されるようになり、そうするとメンバー(メンバーといっても部下ではなく、他の会社のアカの他人、またはプロパ会社の新入社員)のミスを自分がかぶって取引先に侘びをいれるようなシチュエーションが発生する。

私はそれが死ぬほど嫌いでした。今でも嫌いです。

だって、自分のミスじゃないんだから。アカの他人のミスなんだから。


かつてはそういう自分に対して、「会社人」としては失格なんだろうなと思っていました。その代わり自分は「社会人」としては絶対間違っていないとう確信を持ち続けてきました。

しかし今となっては、他人のミスをなんで自分がかぶって謝らなきゃいけないの?という当然の疑問を持つことは「会社人」としても正しいと確信しています。

私がやってきたことは間違いなく「ハラスメント」でした。



。。いや、私のことはいいんです。

責任の所在をわかりやすく、都合よくして(上へいくほど責任が重くなるというよりは、クビ切りを容易にするために管理職に責任を集中させる)なんでもかんでも下のミスと尻拭いを管理職に押し付けるという、この国の「会社組織の構造」そのものが間違っていたのです。

それがバブル崩壊以降少しずつ機能しなくなっていき、そして実年世代の自殺者の漸増を招いた。

コロナウィルスで「重症」になるだけでとんでもない注目を浴びるのに、この国の企業組織の管理職が電車に身投げしても、この国の庶民はずっと知らんぷりをしてきました。

「そんなものだよ」と。

とある数年でこの国のゴールデンエイジが戦争でごっそりといなくなった(徴兵され、殺された)ように、この国のリアルゴールデンエイジは少しずつ少しずつ自死というかたちで減っていき、この国は少しずつ優秀な人材を自らよその世界(天国)へ追いやっていったのです。


それにしても、仕事でもなんでもミスをしたらその人間の責任に決まってるでしょう?

なんでそんな当たり前のことを、これまで主張できなかったんだろうか。


なんで、「地位を与えて、給料も上げるから、『責任をとる立場になってくれ』」などというハラスメントが通用したんだろうか

→なぜハラスメントかというと、その「責任をとる代」があまりに安すぎるからです。

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