講義ライブ だから仏教は面白い! 読後

2022/3/19

悟りについてわかりやすく書いてあった。

以下意訳

悟りとは人格の陶冶による(現世における)人格の完成や成熟ではない。
悟りとは解脱、逸脱なのだから現世における人格や善悪まで超越していくもの。

だからといって悟ったらすぐ悪いことするのか!といったらそう考えるのは短絡的すぎる。
悟りの過程で現世における善悪を超越していこうとしてるわけだから(修行とかそういうので)、つまり善悪は強烈に意識してるわけで、だから超越していきなり悪にいくとは限らない。

そんなことより、もっともっと「自由」であるということ。

みんなやたら悟りたがる理由は、そこ。だーれも(といったら語弊があるがあえていうけど)この現世で人格を成熟させたり完成させたいなんて思ってないの。
それはなぜか。あまりにも不自由だから。

不自由がわかりきってる方面にゴール設定するか?っていう話よ。


で、じゃあどうすればいいかって話だけど、この本ではざっくりいうと、あるとき「ぽんっ」と悟ると書いてある。
いわゆる「実存の転換」というやつです。

ただし誰もが「ぽんっ」の機会が訪れるわけではなくやはり機会が訪れる人は限られてくる。
わかりやすくいうと相当な修行を経て人格的にも相当陶冶された結果として修行を修行と思わなくなり、そして当初の目的(悟りたいという)を完全に忘れたときに「ぽんっ」が発生するみたいです。
凡人には間違いなくきません(笑)

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