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心地よい距離感を保つ難しさ

僕のこころはとても面倒でわがままヤツだなといつも思います。

人との距離が遠すぎると寂しいと喚くし、距離が近すぎると疲れたと嘆くし。その時の気分によって、程よいと感じる距離感も変わってきてしまいます。かぐや姫かって感じです。

そんな自分とうまく付き合っていくためにどうすればよいのか、定期的に考えているのですが、今回は合わせてその結果をアウトプットしたいなと思い、noteに書き留めました。
(初noteのテーマとしては重すぎない!?)

結局は、「勇気」を持つことが大切だというお話です。

距離が遠いとき

そもそも僕は一人が好きです。

その理由は、主に「人といると気を使ってしまうから」です。
それを解決する方法としては、「気を使わないようにマインドなり何なりを変える」か、「そもそも人と一緒にいないようにする」かどちらかだと思いますが、後者のほうが圧倒的に楽なのでそちらに流れてしまいます。
同じ経験をしている人も多いのではないでしょうか?

ですが、僕の場合、一人で居続けると段々と「寂しさ」ゲージが知らぬうちに蓄積していきます。つまり、こころのどこかでは、「人と一緒に楽しく過ごす」ことを求めているのです。羨ましがっているのです。

ゲージが溜まりに溜まると、ベクトルが友だちに向かい始めます。
このときはある種、「寂しさ」ゲージ溢れによるアドレナリンのようなもので頭が満たされ、普段なら躊躇する壁を越えてアクションをおこそうとします。

その結果、友だちと積極的に遊ぶようになり、「寂しさ」ゲージが減る感覚を暫く享受します。

距離が近いとき

友だちとの関係を築き、仲良くなってくると、ふとある時気が付きます。

この仲良くなった人たちとの関係を壊さないよう、これまで築いてきた関係を崩さないよう、ずっと気を遣ってしまっていることに。

友だちがどう思ってるか、を思考のスタートにし、だんだんと仮面を深くかぶり始め、しまいには仮面の種類も増え、本当の自分が分からなくなります。

こうなってしまうともう最初のフェーズに元通りです。

それらを超えた先

大抵は上記の通り、距離がまた遠くなってしまうのですが、極稀にその先に到達する場合があります。本当に気を遣わずに、こころそのままに話すことができる友だちができます。

そこに共通する点は「勇気」であり、「勇気」を持って自分を受け入れ、その友だちを信頼し、ありのままを話すことができた友だちが、結果そうなっているような気がします。

根本的な課題は自分の「勇気」

こうして考えると、ありのままの自分を受け入れる「勇気」、無条件に他者を信頼する「勇気」、といった根の深い問題に立ち向かう「勇気」が最も必要なのだと思います。周りではなく、自分自身の「勇気」が必要なのです。

素直になる、考えすぎない、比較をしない、勝ち負けで考えない、見栄をはらない・・・などなど、行動レベルで考えると反省すべきことがたくさんありますね・・・。

今後の人生のキーワードにしたいと思います。
このnoteもその「勇気」を持つ第一歩としていけたらいいなと思います。(僕にとっても、見ていただいた方にとっても)


でも、言うは易く行うは難しなんだよなあ・・・


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