ラベリングとコメント欄について少し悩む
悩んでいるのは私です。
でも、そんなに苦悩している訳ではないのです。ご安心ください。今回は独り言のようなものです。
1.コメント欄に悩む
今回の花丸恵さんの記事を読んで、感銘を受け、頭の中にほわほわと浮かぶものがあったので、さっそくコメントを書いてみようと思いました。そして書いたのですが、いざ投稿する時にこのまま投稿していいのか悩んだのです。というのは・・
誰もその時にコメントをしていない
↓
自分が1番のコメント投稿者になる。
この事に気づいて、一瞬アクションを止めてしまいました。私はたまにそういうことがあるのです。それはなんでかというと、1番のコメント欄ってその後の流れに影響しそうな感じがするからです。
この件については、私が勝手に思っていることなので、実際はそうでもないかもしれません。コメントをする方は他の人のコメントを読んでいない方もいるかもしれないし、読んでも気にせずご自身の意見をきちんと真摯に書いて下さっている方も多いと思います。反対にコメントの流れで前の方の意見を拾って、コメント欄が盛り上がって広がりを見せることもあります。(なかなかこれはこれで楽しいです)
でも私のコメントってあまり空気を読んでいないことが多いので、躊躇しました。なんか、変な事いつも言ってるなぁと一人反省会です。(でも書いちゃうんですよね。サガですね。)
だから、1回コメントを書いてコピーして携帯を閉じたのですが、そのことを忘れて違う文章をコピーしてしまいました。なので、書いた文章が消えてしまいました。うーん残念。
2.ラベリングについて
そして、本題。
今回の花丸恵さんの記事は丸恵さん流にわかりやすくラベリングの問題について書かれていました。これはとあるnoterさんへの応援メッセージであると私は解釈しております。こういう繋がりっていいですね。素敵です。
コメントに書こうと思ったことを少し書きます。
私は「人の話を聞くこと」ってすごく難しいなぁと思っています。
それはその話を聞く時の、私のメンタル面とか、置かれている環境とかで、受け取り方がだいぶ違ってくるからです。
これはその道に精通している方、聞くことについて鍛錬している方なら、メタ認知とやらをまわして、冷静に受け止めることができるのかもしれないのですが、私はそのような事はできません。
しかし気をつけていることはあります。
それは「アイメッセージ」をなるべく返そうと思っていることです。これは丸恵さんが記事の中でおっしゃっているこの部分。
自分の気持ちを伝える時に必要なのは、きちんと
これは「自分」の考えにすぎない、
ということを含ませることだと思う。
あなたはこう思っているはずだ、と言い切るのではなく、
私はこう感じたけど、あなたはどう?
という、呼応できる余裕が会話の中にないと、
相手の気持ちを、息苦しくさせてしまう。
これがわかりやすくて参考になると思います。
これは気をつけたい・・とは思っているけど、できていないこともあるなぁ。読んでいて猫背の背筋がピッと伸びました。大きい身長がさらに伸びましたよ。
さて、ラベリング問題ですが、もう一つ思った事。
私が気になったことは、このラベルを「つけてほしい人」も一定の割合でいることです。
なので、こういう方には、私が日々気をつけているような断定的でない反応は、いくらか物足りなさを感じているのではないかと思うことがあります。
例えば特定の思想であったり、何か自分が特別であってほしいと願っている人や、精神面が不安定で自分で決定する力も残っていない弱っている人などは、他者に決めてラベリングしてほしいのかなと思う時があるのですね。
その方が精神的には安定する人もいると思います。
そして、そういう人は心身が弱っているか不健康である可能性が高いような気がします。
反対に「なんであなたに私の気持ちを決められてしまうのかしら」と思ったりもやもやしている人は、かえって健全な精神の持ち主ではないかと思われます。
これはあくまでも持論です。
違うかもしれません(汗)
でも、日々小さいことでもラベリングしてほしいことって私もあります。占いとかね。(めっちゃしいたけ占いは見ています。月曜日が待ち遠しいです)
そういう部分もあるのかなって思ったんです。人間は強くもあり弱くもできているんだなって。
ちなみにラベリング問題について1番最初の投稿でも書いているので、お暇な方はのぞいてみてください。(磯野真穂さんの研修を聞いて思ったことを少しばかり書いております。ラベルと容れ物の考えが面白かったのであります。)
ではでは。
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