「ありちゃん」は今度火曜日に遊びに来る
うちの子どもがまだ保育園に通っていたころに、会話の中で頻繁に名前を出すお友達がいた。
その子の名前は「ありちゃん」
「ありちゃんと一緒に歌を歌ったよー」
「今度、ありちゃんとプリキュアごっこするの」
「ありちゃん?」どういう字を書くんだろう?と思った。
保育園のお友達かな・・?
最初はあまり深くは気にしていなかったが、ふと思い立ち、保育園の連絡網を見てみる。
連絡網には保育園の子どもたちの名前がのっているはずだ。
しかし、「ありちゃん」はのっていなかった。
保育園の保育士さんにも聞いてみた。
「ありちゃん?そういう子はいないですね。」
・・・・
・・・・
え?どういうこと?
少し怖くない?
幽霊かなんかですか?シックスセンス?
夫と一緒に頭が「?」でいっぱいになってしまった。
そこで、子どもとの会話からそれとなく「ありちゃん」情報を収集することとした。
私「ねえねえ」
子「なにー?」
私「ありちゃんはどこの保育園に行ってるのー?」
子「ありちゃんはスティッチ保育園に行ってるの。」
スティッチ保育園?聞いたことがないな・・。
私「ありちゃんはなんて名字なの?」
子「ありちゃんはね、◯◯ありだよ!(◯◯は私たちの名字と同じ名字)」
私「へえーそうなんだ・・」
夫と私は情報収集の結果をお互いに報告し、このことについて話し合った。
そこで、おそらくありちゃんは「うちの子の空想の産物」ではないかという結論に達した。
そして私たちはそれを否定する訳でもなく、とりあえず聞いていこうということになった。
ある時、聞いていて、また恐怖が強くなった話がある。
子「ありちゃんさー、今度の火曜日に遊びに来るって」
私「え?遊びに来るの?」
思わず声が大きくなってしまった。
私「そうなんだ・・。楽しみだね・・。」
これでありちゃんの正体がわかるかもしれない。
でも何となく来るのがこわい。何が来るかはわからない。
そして、約束の火曜日になった。
ありちゃんは我が家には訪れなかった。
子どもはいつもの通り、アンパンマンのテレビを見て「あーんパンチ!」とアンパンマンになりきっていた。
なんだったんだ。ありちゃんは?
そしてしばらくすると、子どもは成長するにつれて「ありちゃん」の話題を口にすることは次第になくなっていった。
子どもにしか見えない世界というものがあるとする。
「ありちゃん」はうちの子には確かに見えていたし、確かに存在していた。
「それでいいじゃないか」と思う。それ以上は何もない。
私たちは深くは考えなかった。
きっと、うちの子と同じようなことを言っている子がいて、そのことについて研究している人も、広い世界のどこかにはきっといるだろう。
心理学的な意味もきっとあるのかもしれない。
でも答えを出すことは私たちは求めていなかった。
ただ子どもが成長する過程で「ありちゃん」という子がいて、力を貸してくれたことはこの先も忘れないと思う。
少し話は脱線するが
このような不思議な話は意外と身近にあるものである。
説明できない不可思議なことは、ふとした瞬間に扉が開いて、気づかないうちに入り込んでしまったり、扉がパタンと閉まって元に戻っていたりして、現実と現実じゃない世界を私たちは行き来しているのかもしれない。
時には現実が空想を超えることもある。
見えているものの何が「真実」かなんて誰にも証明はできない。長い長い夢を見ているだけかもしれない。「死」というのは新しい目覚めの瞬間なのかもしれない。・・なんてことも考えてみたりする。
眠くなってきたので、今日はこのへんで。
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