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泣いてもいいよ

私は小さい頃から泣き虫だった。

ちょっとしたことですぐ涙が出てしまう。

幼稚園でお気に入りのライオンのぬいぐるみを誰かにとられてしまい、泣く。

友達や親に自分の気持ちを上手く言えずに泣く。

幼稚園に行きたくないので、泣く。

友達同士がけんかしているのを見ると泣く。

小学生ではなわとびが飛べなくて泣く。

100点が取れなくて泣く。

ことあるごとに泣いていた。

大人になってから、泣いてしまう頻度は減ったが、夫と喧嘩をしていると必ず泣いてしまう。

そんな私に対して、親は「そんなことで泣かないで」とイライラしたようにつぶやく。

夫も私が泣いていると「そうなるから嫌なんだよ」と困った顔をされてしまう。

みんな私が泣いていると困っているし、早く泣くのを止めてほしいと訴えかけてくる。そうすると、「涙を止めなくちゃ」と私は思うのだが、気持ちとは裏腹にますます涙があふれてきてしまい、私自身も非常に困ってしまう。

私はみんなを困らせたくて泣いている訳ではない。

勝手に涙はあふれてしまうのだ。


今日は90代の女性とリハビリテーション中にお話をしていたら、自然と涙が流れていた。

自分が泣いていることにすぐ気がつかなかった。

「何で泣いているのだろう?」

泣いている理由が見つからない。

理由に当たることばが見つからない。


話していた内容は新型コロナウイルスについてだった。

彼女は施設に長い期間入所している。私とも長いつきあいになる。

年齢とともに少しずつ視力が低下し、できないことが増えてきた。

彼女にはやさしい息子さんがいて、彼女のもとによく面会に訪れていた。

でもそれは「コロナが流行するまでは」の話だ。

施設は当然のごとくご家族とは面会ができなくなってしまっている。
もう一年くらい息子さんには会えていないのだ。

「なんでこんな世の中になっちゃったんだろうね。」
「足が痛くてつらい日が増えてきたわ。もうあの世に・・とも思うけど。」
「でも、ふと人と関わっていてね、ちょっとしたいいこともあるのよ。」
「あなたが週に1回お話に来るの。楽しみしているの。これからもよろしくね。」

と、言われた時にはもう涙が出ていた。

彼女の視力が悪かったことと個室で2人きりであったことに少しだけ感謝した。

泣いている理由はわからない。

彼女の境遇についての悲しみなのか、つらい痛みについての想像からなのか、それでも前向きにとらえようとしているけなげさからなのか、もうすぐ彼女と別れなければならないことをかくしている罪からなのか、

わからない。わからないけど、泣いてもいいよと誰かが許してくれている気がした。


私の子どもも2人とも泣き虫だ。

ふとした時に涙を流している。

そんな姿を見て「親子だな」と思う。

息子は私の母親に「男なんだから泣くんじゃない」と理不尽な怒られ方をしている。

私はそういう時は、「泣かないで」とは決して言わないようにしている。

泣いてもいいことを伝える。思ったことをゆっくり話してもらってもいいし、うまく話せない時は泣いているだけでもいい。とにかく今のこの状況は「そのままで良い」ということを伝えたいと思っている。

私がしてほしかったことを子どもにする。

子どもを抱きしめることで、小さい頃の私も抱きしめられているような錯覚におちいる。

そうして少しずつ回復し癒されているのかもしれない。

だから、私は今日も自分に「泣いてもいいよ」とことばをかけるのだ。


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