見出し画像

小さな声をひろえたら

今日はこの曲で。


あれは

さかのぼること、一年以上前。

私は高齢者の施設で働いていた。

「機能訓練室」と書かれた古い時代を感じさせる看板の奥には、平行棒や歩行器などが置いてあり、その部屋の奥にはデイケアルームが広がっていた。

私たちリハビリテーションスタッフとデイケアの利用者さん、デイの職員たちは同じ部屋で、仕切りのないワンルームで一日の大半を過ごしていた。


私は毎日、デイケアルームの奥から聞こえてくる音楽に対して複雑な思いを重ねていた。

デイケアルームの奥には大きいテレビが備え付けており、その横にはカラオケマシンが置いてある。

そのカラオケの機械から流れる音楽は、演歌や歌謡曲、利用者さんの世代が若かりし頃に聞いたであろうヒットソングが主体であった。

知っている曲が流れると、認知症の症状があって普段はぼんやりとされている方も、この時ばかりはシャキッと晴れやかな表情になり流暢に歌い出すこともあった。

無口な男性も、ガイドボーカルの歌に合わせて、聴こえるか聴こえないかの音量で穏やかな笑顔でハミングをとっていた。

何より賑やかな女性の利用者さんたちは「次は何の曲を入れようかしら」と、職員そっちのけでデンモクに番号を入力されている場面をよくお見かけした。

私はカラオケに文句を言いたい訳ではない。

それにより、人の心が動いたり、交流が生まれたり、昔を懐かしむ事ができるのは、とても良いことであると思った。


けれども。


毎日こうなのだ。


私は自分が高齢者であったら「どうかな」と妄想することがよくある。

たまには


無音の日があってもいいのかなと思った。


カラオケでなくとも、違う曲を流してもいいのかなとも思った。


職員が、朝にカラオケマシンのコードを差し込んでスイッチを入力するのが、毎日のルーティンだ。

「カラオケを流す」ということが習慣的に行われている事に対して、そこに関わっている人たちが誰一人として疑問を持っているようには感じられなかった。



いや、一人いた。


同じ職場にいた私の夫だ。


私たちは普段から比較的静かに過ごしたい人たちだ。

だから思ったのかもしれない。


ある一定の人たちには
これは「音の暴力」にもなりうるのでは、と。


そんな事を考えたり、話したりした。


そして他の職員に相談したりしたが、状況は変わらなかった。

「○○さんたちが喜んでカラオケいれてるじゃない。賑やかで盛り上がっていていいわよね。」

○○さんはデイケアに来て、いつものカラオケができることに楽しみを見出している。そして、それを心置きなく表現する事ができている。


けれどもその人にとっての「楽しみ」は誰かの「楽しみ」とは重ならないかもしれない。

「賑やかで楽しそう」はいいことなのだと思うが、「静かにくつろいで」過ごしたい人ももしかしているかもしれない。


声の大きい人。

毎日機械的に流されるカラオケ。

同じ選曲。

目に見える「賑やかさ」「楽しさ」にとらわれてしまうような雰囲気。


私は自分の担当している方で、お話ができそうな方たちに、カラオケが毎日流れている状況について少しずつ聞いてみることにした。


ある人は
「だっさいよね。ビートルズとか流したらいいと思う。」と話した。
その方は昔、ギターを弾いていた事をその話の中で思い出し、パイプラインのメロディを口ずさんだ。にやっとしながら少年のような笑みを浮かべた。

また、ある人は「クラシックが聴きたい」と話した。
その方が怪我をする前の趣味は、こだわりのオーディオ機器でクラシック鑑賞をすることだった。

しかし、その人は「俺にはそんな事は言えない。お世話になっているのだから、そんな主張はできない。」と頑なに意見を述べる事を拒んでいた。

私はそんな彼に対して、手のむくみを軽減するマッサージ機を使用している間だけ、自分の携帯を使ってこっそり彼の近くでクラシックを流していた。

私は曲を流すと同時に、彼の元を離れて他の方のリハへうつるので、自身の携帯は置きっぱなしで、手を動かせない彼に託していくのがややスリリングではあったけど(それは上司であった夫にも指摘されたが彼はさいごまで止めはしなかった)


サブスクリプションで探して、音質の悪い携帯で流すクラシックは、きっと、彼が以前聴いていた環境と比較にならないくらい貧弱でチープであったとは思うのだけれども

毎回彼からのオーダーを聞いて、その曲を教えてもらいながら音楽をながす時間が私は好きだったし、少し離れた窓際でマッサージを受けながら、音楽を聴いている彼の表情が何ともいい顔をしていたことを、私は忘れられないのだ。

(今回の記事の最初にはりつけた「田園」はその中でも頻度が高い楽曲であった)


声にならない思い。

そして、あげたとしても届かないような小さな声。


そんな声をふと思いだして。


今年の目標は今までと変わらず「小さな声をきくこと」としたい。


そして
私自身も
自分の中の小さな声を誰かに伝えること。


それをあきらめないでほしい。

人に期待していいんだよと言ってくれる人がいるから。

私は自分自身の内なる声にも耳を傾けたいと思っている。


それがいいことか悪いことなのかわからないが、私にできることを積み重ねた先に、どのような景色が見えるのかを楽しみに過ごしていきたいと思う。

これが私の新年の抱負だ。

今年もよろしくお願いいたします。


サポートは読んでくれただけで充分です。あなたの資源はぜひ他のことにお使い下さい。それでもいただけるのであれば、私も他の方に渡していきたいです。