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書かない・言わない・やらない

「見ざる聞かざる言わざる」みたいですね。

日光東照宮のさるの話ではありません。(内容はおそらく重なっているところがありますが)

その問題を考えるとき、ケアはケアを必要としているひとに何かをしてあげることだという思い込みから、まずは自由になる必要があるだろう。
さて、沈黙が饒舌よりはるかに物を言うことがあるように、何もしないことが献身的な行為よりも多くをなしとげるということがある。いや何もしないというより、してはいけないことが、結果としてはよりよいことをなしとげるということすらある。そしてこれが、現実というもののおもしろいところ、一筋縄ではいかないところだ。
「臨床とことば 河合隼雄/鷲田清一著」より

あえて「何かをしない」という選択肢。

私個人としては「何かをしない」ことはその人の「美しさ」を表現しているのではないかと思うことすらある。

行動しない美しさ。

「何かをしない」ことで生まれる余白。

しかし「何かをしない」というのは表面に出てこないことが多く案外気づかれにくい。

映画やアート、音楽は語りすぎているものは個人的にはあまりおもしろくない。

「何?これ。」と思ってしまうような、答えが全部出てこないやつのほうが印象に残る。

「余白がある」と自分が入り込めるような気がする。

一人一人の答えは全然違ってしまっていい。

一人一人の心に自分にしかない思考のまとまりが残ればいい。

普段の生活も「余白」を大事にしたい。「余白」があると「遊び」が生まれる。

「遊び」は人と関わる時に、コミュニケーションを図る時に、必要なものだ。

生きていく上で「遊び」が大事だと最近あらためて実感している。

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少し話はそれる。

リハビリテーションの「目標」の話を先日noteに書いた。

私は学生さんが実習で来て、利用者さんの目標で悩んでいる時に、自分に言い聞かせるようにこのような話をすることがある。

その人の「やりたいこと」が見つからないなら「自分がやらなければならないこと」と「自分はやりたくないこと」について聞いてみたらどうですか?

質問を変えて、違った切り口で問いかけると、その人の「やりたいこと」が浮かび上がることがある。

パズルのピースが欠けていても、まわりのピースがうまっていれば、そのピースの形はわかる。

「やらなければならないこと」はその人が他者からかけられていると思っている期待、あるいは自分自身にどのような期待をかけているのかが見えてくる。

「やりたくないこと」はその人の価値観が影響されていておもしろい。

その人が何をしたくないかについて突き詰めると、人生会議にも通じる部分があると思う。

自分が今まで何をしてこなかったか。これからは何をしたくないかについて考えてみると、自分の不確かな輪郭が、一瞬確かになって、つかめる感触があるような気がする。

そうして人間は何度も自分を確かめるのだ。

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