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かぼちゃをうまく煮ることができますか?

波の音。

ざざぁ、ざざぁと、押したりひいたりするたびに潮騒が気持ちよく耳に響く。

釣り人が釣りを楽しんでいる。

犬を散歩している人がいる。


夏の終わりの海岸は、やはりどこかさみしさを抱えている。

子供たちの喧騒や、色とりどりの浮き輪。
海の家の活気づいた人の出入りや、日除けのパラソルも姿を消して、今は過ぎゆく季節を迎えている。
私はこんな海も好きである。
秋の気配が近づいて、深まっていくこの季節に個人的にはぐっとくるものがある。

どこか、余韻があるというか、やり残したことがあるような......忘れ物をしたみたいな気持ちになる。

私は以前春ごろに会った、前の職場のお友達たちと、海で待ち合わせをした。
線もひかれていない、自由に停められる駐車場に適度に車を停めて、あたりを見渡すと、2階建ての海の家のテラスから、待ち合わせたうちの1人が大きく手を振っていた。

私は彼女たちと合流し、もう1人の彼女の車に皆で乗り込んだ。カフェでひとまずランチを頂く予定なのだ。カフェは近くにあって、前から気になっていた場所だった。道がわかりにくくて、少しだけ迷った。

最近大好きなカオマンガイも、めずらしい「ジンジャーカフェラテ」も美味しかった。
友人が「これ、少し前から作っててお裾分け」と、天然の石鹸をプレゼントしてくれた。
2種類のうちから選んでと言われて、私はすぐこれにした。なぜなら「ベルガモット」が入っていたからだ。ヱリさんの作品がすぐ頭に思い浮かぶ。袋を開けて匂いを少しだけ楽しむ。

入っている素材を紙で書いてくれた。

紫根インフューズドオイル
ヴァージンココナツオイル
ラード
シアバター
マカダミアナッツオイル
米油
精製水
苛性ソーダ
アロマオイル(ベルガモット、ジンジャー、ユーカリグロブルス)

3人のおしゃべりは止まらない。
みなそれぞれ、医療福祉の仕事をしているが、各々の人生も考え始めている。「もうそんなに仕事に振り回されたくないよね」ということを、どうやら同じ時期で思い始めていたようだ。それがなんだか面白かった。

あぁしたい、こうしたいを、にこにこしながら聞く。絵の話、手仕事の話、食べ物の話。聞いているのが楽しい。

場所を移動して海岸に戻る。
今日はこれからフラダンスのパーティーを観ることになっている。
海岸で潮の音を聞いて、風を感じながら、フラを観る。
私はとき子さんの作品を思い出す。
つくづくnote脳になってるなと、心の中で苦笑する。

フラはもう始まっていた。アコースティックギターと、ウリウリ、プイリ、イプなどのフラの楽器で生演奏のもと、子供からシニアまで様々な年齢の方たちが海の家の芝生の上で裸足で踊る。

皆さん鮮やかなワンピースや、ひらひらした手染めのスカートを着用している。
すっごい笑顔である。
みんなにこにこしながら踊る。
ポップミュージック、ハワイアンミュージックに続くは「古典フラ」といって、本場のハワイで祈りを捧げるダンスを、少し卓越した大人たちが踊る。
激しく、かっこよい。
皆さんの背中が美しい。背筋と肩甲帯の筋肉がわかりやすく浮き出てる。

ビーフシチューをお裾分けしてもらいテラスから観る

youtubeで同じ曲のものを発見したので貼り付けておく。(ダンスは違った振り付けだった)

そのあとは、本日のゲストである「サボテン高水春菜さん」というミュージシャンが参加されて、みんなで歌ったり踊ったり、ウクレレを持参した人たちが自由に弾いて参加していた。

私は休憩時間に友人に相談して、少し抜けさせてもらった。というのも、以前訪問で訪れていた老夫婦のお家が近かったからだ。

石段をまた上がる。

私は、これははじめてのことである。
何かというと、訪問が終了したおうちに再び立ち入ったことは今までで一度もない。

けれども、この日の私はなぜだか「行かないといけない」と自分の意思以上の力で吸い込まれるように自然と家を訪ねていた。

奥様を亡くした夫さんが、深いかなしみから少し距離が取れたのかどうかずっと気になっていた。

玄関のインターホンを押すと「はーい」と声がしてガチャっとドアが開く。

彼は目を真っ赤にして泣いていた。
私は驚く。
涙をぬぐっている。

「いやね、今さ、友人が電話をかけてきて......私と同じだよ。つい先週伴侶を亡くしてね、その話を聞いてたの。ごめんなさいね、こんな泣いててさ」
「立ち話もあれだから、少しでも上がっていってください。おたくなら大歓迎だよ」
と、言いながら玄関でご挨拶して戻ろうと思っていた私を、ぐいぐいと力強く中へ招き入れてくださる。

私は彼女の遺影に手を合わせる。

彼と私は、利用者さんであった彼女の話をまたした。夫さんは「毎日泣いてたけども、最近ようやく毎日は泣かなくなったよ。こうやって少しずつなんとかなっていくのかなと思うけども。私は大丈夫ですよ」と近況を教えてくださった。

彼はふと思い立ったように「そうだ!昨日かぼちゃを煮たんです。食べていってください」とかぼちゃの煮付けとお茶を出してくださった。

出しながら彼は

「かぼちゃってどうやって煮てますか?」

と私に尋ねた。私が答える前に

「おいしくかぼちゃを煮る方法があるんです。これはね、塩しか使ってないんだよ」

と話を続けた。
私はかぼちゃを一口頂いた。
かぼちゃは、素材の甘味がしっかりとしていて、とてもやわらかく、かといって崩れてしまわない程度に固さを保っている。

「とてもおいしいです。今まで食べたかぼちゃの中で1番おいしいかも......」と感想を伝える。

彼はどこの産地のかぼちゃがいいのか、いいかぼちゃの見分け方、煮方を教えてくれた。

煮方は最初に水分に30分から1時間くらいつけておくこと。煮る時は弱火でずっと煮ることがコツであるそうだ。

私は礼を伝え、彼の家をあとにした。
他にも話したことがあって、それは私のこれからやりたいことにももしかして関係するかもしれないのだが、彼は喜んで賛同してくださった。

思い切って訪ねてみてよかったなと思った。

急ぎ足でフラの場所に戻り、パーティーのエンディングを迎える前に友人達に別れを告げた。

最後は、ゴンチチの「放課後の音楽室」の生演奏でパーティーが終わると聞いていたので、車内で曲を流しながら帰路についた。


そして、今日のことだ。


私はなんと、訪問先で偶然にしてかぼちゃを頂いた。


農家のおうちの方の奥様が「持っていってくんないと食べる人がいないからさ」と、袋詰めにして、どんと渡してくださった。

不思議なことなのだが、時々このようなことが起こる。

起こることが必然かのように、するするとつながりがないところが、つながっていく瞬間がある。

ご縁だなと思う。


かぼちゃは明日煮ようと思う。

そして彼に教わった方法で、水にかぼちゃをひたしながら、きっと私はまた、この出会ったものたちのことを思い出すのだろう。


私の中を通り過ぎて、巡っていくものを忘れないようにしたい。


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