世の中はクソリプで構成されているかもしれない件について
編集者の今野良介さんという方がいる。
私の中ではとにかくaiko狂いの方!という印象だが、発信を追っかけている人の1人でもある。
(上のインタビューも「返信」について書かれている興味深い内容である)
その方が先日、Xで嶋津さんとクソリプ大賞を開催していた。
(ダイアログ・デザイナーの嶋津さんも私はnoteでずっとフォローしていたりもする)
まず「クソリプ」とはなんじゃらほい?という方はこちらを参照して頂ければいいのかもしれない。
開催されたクソリプ大賞で、見事グランプリを受賞した写真家の幡野広志さんのクソリプが私の心にクリーンヒットしてしまった。
今野さんからのお題はこの文章で
幡野さんの作品はこれ
これを読んでしばらく笑ってしまった。
夫にも思わず「これ読んで読んで」とすすめてしまうくらい、私のツボにはまる。
私の心の中の悪いくま(テッドみたいなやつ)はこういう話がすごく好きなのだと思う。
幡野さんはグランプリを取った要因について「クソリプだろうと創作は自分のインプットがアウトプットに反映されるのだと思いました。クソリプをたくさん受けてきている人ほど有利な大会です」と述べている。
『日々こういうものがたくさん来てるのだろうな...』と思うとなんとも言えない気持ちにもなるが、それをこのような形で表現してしまうのがすごいなと思ったりする。
またこんなことも書いてあった。
もはやこれは言語によるコミュケーションでもないのかも...という示唆はすごくすごくおもしろいなと思ったりするのだ。
また、今野さんはこんなことをつぶやいていた。
「極論だとわかっているけどすべてのリプはクソリプである」
本当に個人に言いたいならDMなどにすればいい。リプって時点であなたに言ってないのだからと綴られているが、確かに他の人様に見せている時点でそうなのだろうなと思った。
そして、これを読んで「笑うわこれ、私自身がそうだわ」と思った。
さらに極論を私はうち立ててみた。
『私の返事やリアクションの大半はクソリプでできているかもしれない』
私は相手が何を言いたいのか
何を伝えたいのか
だいたいにして
わかっていない...と思う。
そしてわかったとしても
そこにそうような
答えや応え
反応を意識して
返していない時もたくさんある。
でも...なんかそんなもんだな
って思ってしまう私は
今日も元気に...あるいは気弱に...クソリプを誰かに返しているのだろう。
野球でイメージすると
相手が撃ってきたボールを
そのまま豪速球でバットで投げ返したり
相手が取りやすいようにやさしくコントロールして返したり
受け取ってもそのまま返さなかったり
デッドボールを恐れて球をかわしたり
といったことを繰り返しているのだと思う。
相手が今どのような反応を求めているかは
どれが正解ということもなく
また日によって時間によって
どんどん変わっていってしまうものだから
私も頭を使わずに、いつもと同じ方法でやればいいやというある種習慣づいたものを返してしまったり、その場のやっつけ仕事的な返事、あるいはどうしても自己を主張してみたくなってしまう時は、それがクソリプになる可能性は充分にあるということを肝に銘じたいと思う。
最後に今野さんがクソリプについて書いていたことを残して終わりにしたい。
お互いの守りたいものの見極め...これが目下の課題であるように思うのだが、まあなかなか自身の中での葛藤は大きいのである。
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