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【創作】Dance 12

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第12話「真夏のクリスマスツリー」

【星一の回想】

 半分開けた南の窓から白い雲と目の覚めるようなぱきっとした青い空がこちらをのぞいている。雲は音もなくゆっくりと動いて少しずつ形を変える。大きな雲はラピュータ島でも隠れているかというほどに雄大でどしりとしている。白いカーテンがひらひらと軽やかに踊る。


 星一はありし日の結月のスカートがダンスで波打っていたことを不意に思いだした。霧雨と赤い傘と、学生服と宙を舞うポニーテール。あれは、俺たちの全てのはじまりだったのかもしれない。しとしとと落ちてくる雨粒の隙間から、のぞく彼女の横顔。節目がちなまつげから見える心躍るまなざし。雫が頬を伝って流れ落ちてから滑りだした物語と、この先もきっと忘れないであろう一瞬の花火のような出来事。

 窓からの光は、クリーム色の机や壁に貼られた星空のポスター、星一のお気に入りのマムートのリュックサック、ハンガーに吊るされたバスケット部の赤いユニフォーム、今横たわっているベッド、星一が窓に向かってかかげた指の先などに、やさしくやわらかく降り注いだ。そして反対側には影を作った。時刻は10時28分。日曜日。外から子供の声が聞こえる。少し経って親らしき声も子どもを追いかけた。飛行機がななめに通ってぐーんと音を立てて東の空に消えていった。

 背伸びをした。

 そして、すばやく起き上がって机の上の写真を見つめた。写真は観覧車にいる結月を映し出していた。写真を手に撮り、自分の中にうまく飲み込めていない事実を思い浮かべて頭に並べた。今ここにあるひかりと時間があまりにもやさしくておだやかで、もしかして夢を見ているのではないかと星一は思うほどであった。自分の身体が透き通ってすぅっと透明になってしまいそうだった。あの日の夜も幻の夢のように終わった。しかし、手には確かに結月の体温の感触が残っていた。

 遊園地に遊びに行ったのは先週のことだ。

 潤と結月と3人で楽しく過ごしていた。2回目のポップコーンはお店の行列もさらに長蛇の列となり、待っている間にあるネコのことを思い出した。そのネコは、昔、父方の親戚のおばちゃんの家で飼われていたハチわれの黒と白の子で、寝床にやわらかいタオルケットが敷かれた上でぐっすりと寝ていた。名前は、おもちという名前だった。背中からしっぽまでをなでたり、あごのあたりをふわふわとさすったり、胸のあたりを包んでさわさわしていると、おもちは気持ちよさそうに目を閉じた。一緒にこたつの中に入って、父親のふとももによりそってみたり、お腹に顔をうずめてめいっぱいにおいを吸い込んだりしては、なんとも言えない幸せな気持ちを星一は味わった。おもちも自分も、今思えば「幸せ」なんていうことばさえ知らずに、幸せを体現していた。父親がはじめてカメラを渡してくれた。「おもちを撮ってみたらどうかな」「好きなように撮ったらいい」星一は慣れないカメラを大事に持ちながら、おもちを撮った。おもしろいと思った。ネコってこんな顔してたっけ?毛並みもひとつひとつがこんなに違うんだっけ?と思うくらい、別の物を見ているようだった。その時撮った写真は、火事で焼けてしまったので、星一の手元には残念ながら残っていない。

 ポップコーンを購入して戻ると、結月と潤は明らかに先ほどと違う空気を身にまとっていた。空気には重さがあり、2人は傷を負った鳥のようでもあった。星一は「何かあった?」と2人に尋ねたが、結月は「大丈夫」と笑顔を向けた。「大丈夫」と言われるときの大体が大丈夫ではないことを星一は知っていたが、潤が何も口を開かずめずらしくだんまりとしている姿を見て、様子を見ることとした。帰りの電車の時刻が近づいていたので、ずっと視界に入っていた大きな観覧車に最後に乗ろうという話になった。3人で乗るはずだった観覧車に乗る寸前に、潤が「僕、ちょっと急にお腹がいたくなったから、2人で乗ってきてくれへん?」と言いだし、そのまま手を小さく振ってとびきりの笑顔を見せながら人ごみをかきわけて姿を消していった。

 観覧車の中で向かい合って2人で座る。結月はこの日、緑色のワンピースを着ていた。すらりと伸びた手足は白く、手先はハンカチを握っていた。その手先の力加減から、やはりどこかこわばっているような、筋肉がつっぱっているような、そんな雰囲気を結月から感じた。長いまつげがよく見えた。距離が近いなと不意に感じた。星一は、自分が今日どんな格好をしているのか、普段は気にならないことが急に頭によぎった。そわそわと落ち着かない心を落ち着けようと「写真撮っていいかな?思い出の一コマ」と結月に尋ねて、パシリとシャッターを切る。
 最初は他愛もない雑談を話していたと思う。しばらくすると結月は急に押し黙って考え込んでしまった。観覧車が木より高くなり、市内の町並みがジオラマのように小さく見えて観覧車の頂上にさしかかったころに、やっとのことで結月は口を開いた。

「私は星一くんに話していないことがある」

 星一は返事はせずに、結月を見つめた。星一は全身で結月を肯定していた。結月は続けて話し始めた。

「私は、3人で今日ここに来られてよかった。夏の日にこんな素敵な1日を過ごせて良かった。アトラクションに乗れたり、おいしいものが食べられたことよりも、私は、待っている間に3人でたくさんたくさんお互いにお話ができたことが何よりも嬉しかった。またこれからも3人でお話したり、一緒に過ごしたいってそう思った。心からそう願ったの」

「でもたぶんもう……私は来年、同じ夏を過ごすことができなくなっているかもしれない」

 星一は「どうしてそう思うの?」と一言尋ねた。それは海底のクジラのように全てを見据えて包み込むような声色だった。結月は水中にいるかのように声を震わせながら話し続ける。

「私は星一くんが思っているよりも自由な人間ではない。あなたが思うような人ではない。今はただこわくて……これから起きる出来事やかなしみに押し潰されてしまいそう。不安から逃げたくて、目を背けたい。……私はあなたに本当のことを話していない。でも話したら全部消えてしまうかもしれないって思った。全てを話したらみんな私を私として……今のこの『結月』として同じ温度で接してもらうことがかなわないんじゃないかってずっと思っていた」

「だから言えなかった。ごめんなさい」

 今まで我慢していた気持ちを表すように、一筋の涙が結月の目からこぼれおちた。

 星一は深呼吸をして、ある話を話し始めた。それは先程、ポップコーンの列で思いだしていたハチわれのおもちの話だった。

「おもちを撮ってから写真っておもしろいって思ったんだ。と、同時にね…….ずっと撮り続けていて思った事は、独り占めしてるって思った」
「シャッターを切る時は、この空間と被写体と思い。全部が自分のものになったような気がしたんだ。この瞬間は俺のものって。意外と独占欲があるでしょう。潤も……あいつも相当独占欲があるのだろうけど、俺もあるんだな、こう見えても」

 そこで星一は、姿勢を崩して、小さくははっと笑った。こわばった結月も頬に涙を光らせながらくすっと小さく微笑んだ。

「自分と人と見ているものが同じでも、見えているものは違う。それは写真を撮るとよくわかる。そして被写体と自分との関係性が、如実にあらわになる。俺の想い、被写体からの想い、残酷なまでにそれははっきりとそこに正体を示す。ところでね、結月さんはずっと俺の写真を褒めてくれたよね。よく眺めてくれてもいた。結月さんには結月さんの姿がどんな風に映っていたのだろうと、想像したりもする。今思えばね、今までの様に独り占めしたかったのかもしれないのだけども、それよりももっと『ここにある』ってことを形にしたかったんだろうな」

「それが俺の答え」

 星一は、結月と先生がレッスン後に笑いあっている写真をカバンから出して、結月の手を取って丁寧に渡した。

「これが答えだよ」

「ことばにならないものがここにあって。消えない。ここにある。だからなんというか大丈夫だよ。話したかったら話せばいいし、まだ結月さんが話すタイミングでなければ話さなくてもいいんだ」
 星一は自分の胸を指さした。頬をハンカチでぬぐいながら結月は静かに写真を見て頷いた。

「でも潤にはまた怒られるな。きちんとことばにせーへんと!って」

 2人が笑い合った頃に、2人を乗せた観覧車は徐々に低くなって終わりに近づいていた。下りる準備をしようとした時、結月が血の気のひいた顔で星一の手をとっさにつかんだ。

「ねぇ……星一くん!ごめん!ごめん!!」

「わ、私の足、力が入らない!どうしよう!?」


 星一は二人の荷物を素早くまとめてドアの近くに置き、あせる結月の手を取って目の前にしゃがんだ。「俺の背中に乗っかれるのかな?やってみて!」結月は星一が言う通り背中にもたれてしがみついた。星一は両手でしっかりと結月の力の入らない両足を支え、観覧車のドアが開くと同時に従業員に「すみません!荷物出してもらっていいですか?」と訴えた。従業員はすぐに荷物を出してくれたので、星一と結月は観覧車からおんぶした姿勢で無事におりることができた。そこで不意に大きな音が頭上から響いた。驚いて2人は空を見上げると、園内では鮮やかな夏の花火が次々と打ち上げられていた。


【結月の回想】


 目を開けると白がひしめいていた。
 白いベッド、白いシーツ、白い壁。窓の外も光が強く白んでいる。ドアを開けて看護師が入室してきた。茜色のスクラブと深い紺色のパンツをはいていて、色がない世界に急にあざやかにあらわれた物体を、意識が定まらない結月はぼんやりと眺めた。看護師は、手際よく前腕と手関節の間に刺されている点滴の針を確認して、点滴の落ちる速度を調整した。引いて来た銀色のカートにはアルコール綿が入っているポット、固定用のテープ、注射器、チューブ、ペンライトなどが無造作に乗っている。「ご飯は昨日より食べられていますね」「トイレの回数だけチェックしておいてね」そう言って、看護師は部屋を去った。

 結月はおもしろくもない何ともない旅番組のテレビ画面を眺めながら、ふと先日の遊園地の出来事を思い出した。

 観覧車からおりた時に花火が見えた。結月は大きな音に驚いたが、星一の肩ごしに花火を目で確認してやや気持ちが安堵した。2人は潤を携帯で呼び出し、潤との待ち合わせの場所まで星一は結月をおぶった姿勢で歩いた。お客さんたちは、花火が見える位置まで移動しようと、2人の行き先と反対側の方へ流れていた。花火は通路の樹木が生い茂っており全貌を見ることはできなかったが、結月は木の隙間からきらきらと見える赤と緑のひかりを見て、クリスマスツリーを思い浮かべた。

 季節外れのクリスマスツリー。

 星一は結月を安全に運ぶことに必死で気づいていなかったが、結月だけがその瞬間に気づいた。星一くんが話していたこと。今ならわかる気がする。独り占めしたい。シャッターを切りたいってこういうことなんだなと、結月は星一のあたたかな体温を感じながら心密かに思った。それは今自分が置かれている状況への不安をかき消すようなやさしいあたたかさだった。

 待ち合わせ場所で潤は車椅子と一緒に待っていた。車椅子は園のサービスカウンターで貸してくれたようだ。そこから結月は車椅子に乗って、結月の母親と連絡を取った。母親に車で迎えに来てもらって、そのまま病院へ受診した。検査のためしばらく入院となり、今日に至る。
 結月は、あの日、星一が観覧車で渡してくれた先生との写真を手に取って眺めた。写真のことがまるで遠い過去の様に思えた。練習を重ねていた発表会のことを想う。星一からはあの日以来、連絡がなかった。


 しかし、連絡もなく星一は突然見舞いにやってきた。


 結月は、星一をしっかりと見つめた。


 赤と緑のひかりは

 またお互いを捉えなおそうと

 距離を近づけ

 新しいステップを白いひかりの中で踏みだそうとしていた。






13話につづく


挿し絵協力:ぷん(pun)さん

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