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【創作】Dance 11

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第11話「万華鏡のシンデレラ」


 行き交う人々の喧騒は、先ほどまでざわざわと賑やかであったはずだが、今の結月にはそれは果てしなく遠いものに感じた。聞こえてくる音はどこかくぐもっているような鈍さがあり、まるで水中にいるように感じられる。

こぽこぽと泡が浮かぶ。
心がゆっくりと沈んで意識が浅くなっていく。
息を吸いたいがうまく呼吸のリズムが取れない。
とくんとくんと心臓が早鐘を打つ。
海面から光が差しこむ。
それはあたたかいのだが
眩しくて
侵襲的で
暴力的でもある。
結月は
『まだいいのに』と思う。

まだ、いいんだって。

私を照らさないでほしい。
あかりをまだこちらに向けないで欲しい。
このままでいい。
楽しいままでいい。
このまま刻が止まればいいのに。
夢から覚めなければいいのに。

 けれども、刻は残酷にして移り変わってしまうことを結月は知っている。

12時の鐘が時刻を告げると
シンデレラは町娘に
御者はねずみに
馬車はかぼちゃに戻るのだ。

なくなってしまうもの
変わっていくこと

 いつかは自分も変化と向き合わなければならない。

 気づかないふりをしていても、ひかりはさす場所を変えて

影はやがて明るみになる。

口をやっとのことで開いた。


「はじめて違和感に気づいたのは半年前」


 母親と、とある郊外のショッピングモールに結月は出かけていた。父親に誕生日プレゼントを購入したい結月の母親は、様々な店を巡っては夫に何を贈るべきか悩んでいた。NEMURIの高級パジャマか、山海堂の漆黒のタンブラーか、はたまた水円のゆったりデザインの寒色の靴下か.......、母親は迷いに迷って先ほどのタンブラーと、最近睡眠不足気味の夫のために良さそうなリラックスできるアロマオイルを選んだ。

 アロマオイル店で、結月はレモンのアロマを不意に手に取った。


 その時、結月は「なにか」がカチッと音を立てたように聞こえた。



 実際に音が出ていたのかはわからない。
 まわりを見回しても「カチッ」っと音が出るようなものは見当たらない。

でも、それは起こるべくして起こった音で

あらかじめ決められていたかのように

それはそこまでの結月と

そこからの結月を

隔ててしまった。

結月は手に力が入らなかった。

 アロマのキャップを開けようと試みたが、結月の人差し指と親指の指先の力は、キャップの凹凸を滑り落ちて行先を見失ってしまった。
 じわりじわりと汗をかく。どろりとした黒いものが内側から侵食して、結月は体の表面を覆われてしまう。

「なぜ......なぜ!」

 はがれて歪む現実感のない光景と感覚に、妙に焦ってしまう気持ちは、とめどなく結月を不安にさせた。

力が入らない。


思うように体を扱えずに
空回りする結月のまわりに
いつまでも
レモンの香りだけが
苦くあわく
離れずに
留まり続けていた。


「遠位型ミオパチーですね」


 カタカタっとキーボードを叩く音が聞こえる。天井のトラバーチンと相反して、透き通るようなきれいな白い壁に窓ガラスからの日光が斜めに当たっている。かけられているカレンダーには、どこかの外国の大きな滝の写真が瑞々しく水のしぶきまで微細に写っている。机の上には脊椎の小さな模型が置いてあって、椎骨と椎骨の間には、ハンバーガーにはさまっているパテみたいな椎間板が行儀よく整列している。プリンターからガーっと無遠慮に印刷紙が出てくる。看護師さんがその紙を手に取って、結月の隣にいる結月の母親にそっと手渡した。

医師から告げられた聞きなれない病名。

 国内でも数百例しかいない。徐々に末端の筋肉から力が抜けてしまい、生命予後は悪くないが、最終的には全身の力が衰えていってしまう難病。さいわいにして、結月の指先の力はまた少し元に戻っていたが、これから良くなったり悪くなったりを繰り返して、症状は少しずつ進行していくことを医師は淡々と告げた。

母親は静かに床を見つめていた。


結月はあるダンスを思い浮かべていた。


それはいつの日かの雪乃先生のダンスであった。



※※※


「せいちゃんがなにか隠してるなぁと思い始めたのは、星のキーホルダーを落とした頃から」

「あの時以来、あまりせいちゃんは部活に出てこなくなった。どこで何してるのか、鍵がないから面倒になってこれへんのか、わからんかった。けれども、久しぶりに体育館に現れたせいちゃんが緑川さんのことを戸惑いながらも教えてくれた。気になっている子がいると。けれども、まだ本人ときちんと話したことはない言うて。......それから、どうなったのかはしばらくは僕は知らんかったんやけども、たまたませいちゃんの姉ちゃんに街中でばったり会って、様子を聞いてみた。そしたら緑川さんの話が出てきた。ねえちゃんも面識があり、どうやらせいちゃんが写真を撮っているようだと」


 少し離れた屋台の射的ゲームの弾が当たって派手な電子音が鳴っている。
 結月は沈黙していた。
 彼女は潤に返すための適切なことばを探しているようで目をふせたまま地面を見つめていた。

 潤は一呼吸置いて、結月を見ながら話を続けた。

「気になって、学校でも聞いてみたんよ。緑川さんのこと。勝手に先生や同級生にな。悪いと思ったんやけど.......僕はせいちゃんのことがどうしても気になってしまうんやな。
そしたら.......なんでも、休みが多いことがわかった。たくさん病院に通ってるようだと......やっかいなもん病気を抱えているような噂も風の噂やけども聞こえてきた。僕が聞いたんはそこまで。
せいちゃんからの話を聞いてる限りは緑川さんはきっとせいちゃんにも話してないんやろうなと思って。僕はそのことを考えるとちょっと心がざわざわして落ち着かなかった。だから、あの時、2人に気持ちをぶつけたこと。今でも悪いと思ってるんや。ごめんな」


 親子連れが目の前を通り過ぎた。男の子は風船を持っていたが、話に夢中で手を離してしまった。ふわふわと浮き上がっていく赤い風船を見つめながら潤は結月に振り返って問いかける。


「なぁ......せいちゃんには言わへんの?」

 結月は口を開こうとするが、うまく声が出てこなかった。


 ことばとことばがちらかってうまく結びつかない。

けれども......なんとか想いを伝えたい。

 やわらかな肉をさらけだす。
 私の魂の一番やわらかな部分をこの人になら見せてもいいのかもしれない。むしろ、ずっと開かれる時を待っていたのかもしれない。結月は意を決してことばを絞り出した。

「私は自由ってなんだろうって思ってる」

「たぶんこのまま私の体は徐々に動かなくなってくる」

「当たり前が当たり前ではない世界。跳ねて、ステップをふんで、手を伸ばして......自分が当たり前に行っていたことができなくなってくることを考える。好きなダンスがもう踊れなくなってしまうことを考える。まわりの人とどんどん私は離れていく。この先、生活のことも手伝ってもらうことがきっと増える。私の母は、診断を受けてから、同じ病気の人のことをたくさん調べてくれた。明確な治療がなくともその中でも希望を持って生きてる人たちがいることがわかった。
1人ではない.....少しだけそう思えた。だけどね」

「私は私をひきうけなければならない。私の人生は誰も代わりをひきうけてくれない。私も他の人の人生は生きられない」

「不自由だなと思う。私は何かを選んでここにいるのかな。私のせいなのかな。突然そんなこと言われても、よくわからない。こわくてこわくて何度も泣いて、涙も枯れ果てて、ある日、頭が真っ白になってしまった。そして、気づいたらあの公園にいたの」

「月が出ていた。もう日が落ちて、辺りは暗かった。公園の中に薔薇の垣根があるスペースがあった。私はそこで踊ってみた。あたたかい風を感じて、足先にやわらかい土の感触がある。草花の香りがして、かすかに鳥の音が聞こえる。関節は動いて、筋肉がしなっている。
まだ、動く。
まだ動ける。
まだやれることがあるかもしれない。
それ以来、私はあの場所で自分を確かめている。様々な感覚を感じていると、つらいことは少し薄らいでくる。
私はこれから自由を失う。でも、雪乃先生は失ったものを自分の中に生かし続けていた。どうやったら私も雪乃先生のように強く生きていくことができるのかをずっとあの場所で考えていた。

そしたら......ある日、星一くんが現れた」

 結月はゆっくり立ち上がって、潤を見つめ返した。

「最初の頃に言われた。星一くんに『緑川さんのダンスがまるで重力を感じずに自由だなって思った』って。
私はつい笑ってしまった。だって私はこんなに不自由なのに。自由?どこが自由なんだろうって、少し怒りすら感じた。
でもね、後から思った。彼は私のダンスから何かを感じていたんだなと思うと、それを知りたくなった。そこに何かヒントがありそうな気がした」

「彼と過ごすのが楽しかった。彼の写真に収まっている私は、眺めるたびにとても不思議だった。星一くんにはこうやって見えてるんだって、たくさんの発見があった。私の知らない私がいた。潤さんも一緒に遊ぶようになって、3人で他愛もないことを話すのがすごく好きだった。この夏が続けばいい。ずっと続いて欲しい。
でも夏休みは終わってしまう。
同じ時間を過ごすことは、もう2度とないのかもしれない」


万華鏡。

くるくると赤や青や紫の色が移動して

様々な形を作り出す。

結月は小さい頃、万華鏡を覗くのが好きだった。


それはとてもあざやかできらめいていて

永遠と同じ景色が繰り返される。


この瞬間を万華鏡に閉じ込めたい。



あのいくつもの光の渦に混ざって

カレイドスコープ万華鏡

結月のダンスと共に

くるくると回り出すイメージを


結月は大きな観覧車を見つめながら


いつまでも思い描いていた。


12話へつづく



挿し絵協力:ぷん(pun)さん



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