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焚きつける

ぼーっと火を見つめる。

寒い毎日が続く。
吐く息が白くなり
空気がピンと張りつめている。

仕事が終わって自宅に帰り、夕飯の支度を終えて、家族が食事をしたあとに、薪ストーブを見つめている。

夫は帰って来るなり、庭から木を運んできて、ストーブの中にくべる。火をつけて、空気を調節して、少しずつ火の形が大きくなる。

火をおこすには、この空気の量が大切になってくる。

どれくらいの空気をストーブの中に入れ込むのか。調節する箇所があって、空気をしぼったり広げたりする。



酸素が足りないな…..と思う。

息をすったり

はいたり

ゆっくりとしてみる。

ストーブではない。
酸素が足りないのは、自分。


月曜日に傷ができた。

右手の手の甲に4cm程度のひっかき傷。

一週間、この傷を眺める癖がついてしまった。

運転の信号待ちの間

料理をしている間

絵を描いている間

洗濯物をたたんでいる間

ふと手の甲を見つめる。

眺めるたびに心が疼く。

ある利用者さんからもらった傷。

彼女は最近、私たちが体を動かすことに激しい抵抗や拒否を示すようになった。


訪問開始前に「他の事業所が入ったけど長続きしなかった」という情報をケアマネージャーに聞いていた。開始してからは、無理にこちらの意図するプラン通りにすすめていかないように配慮した。歩調を合わせようと注意深く見守る。

彼女の足取りをたどる。

少しずつお話ができるようになって

少しずつ体が動かせるようになった。

少しずつ運動も一緒にできるようになり

時には編み物にチャレンジした。

youtubeで大好きな美空ひばりさんの歌を楽しんだ。


リハ中は、いつも傍らに娘さんがいた。

彼女自身は、同居している娘さんに対しての感謝を述べることはなかった。

娘さんは時折、私たちにこぼすことがあった。

母親から支配的な関わりをずっとされていた。

どこにいくのも何をするのも問い詰められた。

結婚する時も反対された。

いつでも自分が被害者のようにふるまって、自分たちが介護することは当然だと思っているようだ、と。

でも、いいんです。仕方のないことだから…..と最終的な意見としてはそこに辿り着くことが多かった。

もともとの気性に加え、彼女は認知機能が低下してきている事も会話から推測された。

介入していた私と後輩のPTは、娘さんの介護負担、精神的負担が高い事を感じたため、リハ中は一緒についていなくてよいことを伝えた。その時間だけ私たちにまかせて、40分ご自分の時間を作って下さいと伝えた。

娘さんは次の回から、ベッドの横にいることをやめて隣の別室で過ごすようになった。それでも、休むことなく家事をしている物音が聞こえ、いつでも私たちのことを気にかけている様子が伝わってきた。

並行してデイサービスやショートステイの利用もそれとなく話してみた。しかし、娘さんは「たぶん母は難しいと思うので」とあまり積極的に考えようとはされていない様子であった。

痛み止めを調節しながらリハをすすめてきたが、段々と彼女の様子は変化していった。

目を閉じている事が多くなり

痛みの訴えが増え

布団をめくるだけでも怒りをあらわにするようになった。

そして最近はそれをことばにしたり

具体的に体を使って表現されるようになった。

「こうやって痛がっているのに何で動かすのか」

「そうやっておもしろがってるんだ」

「警察を呼ぶぞ」

「やってもらわなくても歩けるからいい、病院に行くからいい」

「もう二度と来るな」

そして、私の腕をつかむ

にらみつけて

腕をひねったり

叩いたり

そうこうしてできたのが

このひっかき傷だった。



私は、帰り道に傷があることに
初めて気づいた。

「おもしろいだろ」と言われた時に「おもしろくありません。私はあなたが心配です。真剣なんです。」と反論してしまった。
「あのバカどこ行った!」と娘さんを探していたので「娘さんをバカと言うのはよくないと思います。」とも言った。

いろいろやってしまった……と思った。


彼女の暴力行為を引き出してしまったのは私だ。


無念だと思った。


無力だ。


身体を動かせない状態が続き
彼女の股関節は少しずつ固くなっている。

股関節が固くなると、座る姿勢が取りづらくなり、活動や参加の機会が減少したり、日常で困難な場面が増えてくる。介護も負担が増える。

彼女が「作業」を通じて、意欲を取り戻したり活動性を高めるように働きかけることが必要なのだが、再び会話をしたり、待っている時間が長くなると、ますます廃用症候群が進行してしまうと懸念する。

彼女の意欲をどうしたら高められるのか。

生きていて「快」となる体験が今はあるのか。


気はあせるばかり。


この手の甲の傷は
彼女の生きている叫びだと思った。

どうにもならない自分に対して
他者に対しての
社会に対しての
彼女の生きている証
自己主張だと感じた。


私はこのことを後輩にも共有した。
彼女も、私のように傷は作らないまでも、同じように暴力的な発言や行為を受けていることを、私は知っていた。

「でも….私たちが行かないと……今度こそ入ってくれるサービス事業所がないかもしれませんし、私はご本人もそうだけど娘さんの孤立が気になります。私はやっぱり気持ち的には続けていきたいです。」



家に帰って夫に相談する。
夫は「まず会社としては…..」と話しだした。

「契約時に、職員への暴力行為があった場合、サービスを終了する可能性があることが契約書類には書かれている。これについて、仮にこれで彼女だけがサービスを受け続けることはかなり特殊なケースになる。これに対して『あの利用者さんはいい』『あの利用者さんはだめ』というのはどうなんだろう。」

その通りだと思った。
なんのためのルールなのか。
そしてこの契約書は職員を守るためのものだ。
私は後輩を守ることができていない。
仮に後輩の分まで私が訪問に行っても良いのだが、そういう自己犠牲みたいなもので済まされる話でもない。

個人的な意見だが、私は自分だけにしかできない仕事というものを作りたくない。

私は世界の歯車の一部であり、私がいなくても世界はまわっていくことをいつもどこかで忘れたくないと思っている。

仮にここで私が働けなくなって、私にしかできないことばかりというのは、管理職としては、失格であると感じている。


話を戻すが


サービスを終了にするのは簡単である。


ケアマネに電話をすればいいだけの話だ。


でも
私はこのようにサービスからもこぼれてしまった人の行く末が気になる。

受け入れられない
続けることができない人は
どこにいったら良いのだろう。

あふれた水は
あふれた想いは
受け止められなかった気持ちは
どこに流れていったら良いのだろうか。

もちろん、先程記したとおり
ここで私たちが手放しても
どこかの誰かが
なんらかのかたちで
関わることができるかもしれない。


でも....と思う。


樸を抱く。


NPOほうじん「ほうぼく」の奥田牧師の顔が浮かぶ。


客観的な事実を見たら
彼女は子供に感謝もせずに
私たちに暴力をふるう
割と社会的には困った部類の人間であるかもしれない。


それで終わらせていいのか?
と思う。


それだけじゃないだろ?
と思う。

どうしたらトゲトゲを抱き続けられるのか。


今は答えがでない。

ケアの世界は決して綺麗なものでも
美しいものでも
崇高な世界でもない。


もっと泥臭くて
醜くて
足掻いていて
ぐちゃぐちゃだ。

道徳の教科書に載っているような話が通用しない、全員が納得するような着地になんかならない、すっきりしない世界だ。


そして、職員が暴力を受けることなんて、はっきり言ってめずらしくない。

サービスを受ける側からのハラスメントは、自分も経験があるし、他職員がされていることを見ることも今までたくさんあった。


叩いたり
暴言を吐かれたり
卑猥なことを言われたり
体を触られたり
唾を顔に吐き捨てられたこともある。

職員を守ること
自分を守ること
利用者さんの暴力性にひきずられないこと。


行ったり来たりしながら


無念を知りながら


焚きつける。


炎がたとえ、弱まっても


すったり


はいたり

ゆっくりと


酸素を取り入れる。


このゆらめく炎のように

私のエゴのような気持ちをまた奮い立たせて

いつか灰になるその日まで

焚き続けたいと私は目を閉じた。


チリチリと火の音が私をゆるやかに包んでいた。











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