【創作】Drops⑨
最終話 赤と青のトワイライト
あれから1週間。赤井さんの母親が亡くなった。
僕は黄葉先輩と澤村係長と共に赤井さんのお母さんの通夜式に参列した。
焼香をした後に、辺りを見回すと、奥の方に赤井さん家族が一緒にいるのを発見した。その中にはいつぞやの駅で見かけた弟さんの姿もあった。
赤井さんはせわしなく動いていろいろな人に挨拶をしているようであった。僕たちは通夜振る舞いを丁重に断り、式場をあとにして、近所のラーメン屋で遅い夕飯を取った。
黄葉先輩は「しばらく赤井さんはお休みですよね。」と澤村係長に確認した。係長は「うちの就業規則だと親は一週間だな。まあ、本人の状態を見ながらでいいと思うけど。赤井も若いのに大変な事だと思うよ。」とラーメンをすすりながら話していた。
僕は店内のテレビをぼんやりと見ていた。タレントさんがおかしな動きをしてみんなでわいわいと笑っている。
僕は赤井さんに「お悔やみ申し上げます。力になれることがあればいつでも言って下さい。」とシンプルなメールを送っていた。
その下に「お忙しいと思うので無理な返信は不要です。」と一言書き添えた。
当然ながら彼女からの返事はなかった。
僕はあれから、嫌な夢を見てうなされる事はなくなっていた。
そして、どこか僕自身の気持ちも、波の立たない水面のように静かに音もなくただ存在していた。透明な水は底がみえるほどに透き通っていて濁りは全くみられなかった。
確かに僕の中の透明人間は消え去ってしまったのかもしれない。
そんな風に過ごしながら通夜式から5日目の夕刻だった。
僕はいつもの通り会社からの帰り道を歩いていた。その日は雨予報だったので、僕は傘を持ち歩いていたが、つい先程からスコールのように雨が突然降り注いできた。
交差点を渡って、正面には花屋が見えた。視界が悪かったが、僕はその店の軒下に赤井さんがいることを発見した。赤井さんはカーネーションの花束をもって空を見上げていた。傘がないのか、服は少し濡れていた。
「赤井さん、こんばんは。」
「え?青野くん。こんばんは。久しぶり。」
「どうしたの?傘ないの?」
「うん。さっき実家から移動してきて、あっちは晴れていたから油断しちゃった。久しぶりにこっちに戻ってきたの。」
「あのさ、よければなんだけどさ。」
「何?」
「今からうちでおいしいお肉を食べませんか?」
***
僕は台所に立って、フライパンの上をじっと見つめている。
後ろからタオルをかぶった赤井さんが僕の様子を見ている。服と髪は移動中にあらかた乾いていたがまだ湿っぽさがあるようだったので、僕の家のタオルを貸し出した。
「料理ってのは、どうにも難しくてね。特にこの肉の焼き加減がいつも僕にはわからないんだよ。まだ焼けてないのか焼けてるのか、ちょうどいい加減が認識しづらい。こういう時赤が見えないのはやりにくいよね。」
「どれくらいの焼き加減にしたいの?」
「ミディアムくらいにしたい。長年、僕なりに研究してるんだけど、なんかうまくいった試しがないね。」
「えーと、加熱を始め、60℃付近までは温度が高くなる程、食べやすい柔らかさに近づいていき、65℃を超えると急激に肉が硬くなってきます。」
「何それ?赤井さん。」
「今、ググってみた。お肉をうまく焼くには①肉を常温に戻す」
「戻した」
「②筋切をする」
「切ったよ」
「③塩コショウは直前に」
「さっきやった」
「④強火で短時間加熱!」
「これが曖昧でいけない。短時間ってのはどれくらいなんだろう。例えば人によって3分だったり5分だったりするでしょ~ぶつぶつ。」
「もう!シェフがおいしいディナーをふるまうっていうから来たのに、これじゃあダメシェフじゃない。」
2人はまた笑い合った。
そして焼かれたステーキは、まあまあ美味しかった。叔父が送ってくれた肉自体が高級だったので、素材の力が大きかったのだとは思うのだけど。
赤井さんは思いだしたように「ごめんね。メールを返信しなくて。」と申し訳なさそうに話した。僕は「全然かまわないよ。忙しかっただろうし。大変だったね。」とソファの前にいる赤井さんにあたたかいココアを渡した。
「母がね。逝ってしまったと聞いた時に、覚悟はしてたんだけどね。やっぱり後悔は大きくて。でもね、ほら、青野くんが.....私とあのカフェで話した時に」
「あぁ、ブラックバードで?」
「そうそう、あそこでね。言ってくれたことばが、私の中ですごく大きな存在になって気持ちが救われたんだよね。お互いに思いやっていた。気持ちは重なっていたって、言ってくれたから、だから私はかなり強くなれました。ありがとう。」
赤井さんはお辞儀をした。
「いやいやこちらこそ。思いやりって難しいと僕も悩んでいたから。僕の両親だってある意味僕に対しては精一杯の思いやりを持っていたんだと思うんだよね。赤井さんにこの前言われた通り、いつか両親のもとにはちゃんと顔だけでも見せに行こうと思っているよ。ありがとう.......あ!そういえばあれ買ったんだ。見る?」
「え?何?」
「赤井さんにもう一つ言われたやつ。色覚補助の眼鏡。買ってみたんだ。」
そう言いながら僕は棚の上の眼鏡を持って赤井さんの隣に座った。
「え?あったんだ。じゃあ、さっきのお肉、眼鏡かけてから焼けば良かったじゃない。」
「言われてみればそうだね......。でも、君がいるところでかけようと思ってたから、忘れてたよ。かけてみていい?」
「うんいいけど、何か赤いものがあった方がいいでしょ。あっ!そうか。」
と言って赤井さんは、いつものサクマドロップスを取り出して、赤の飴玉を必死に出そうとしていたが、紫色が出てしまい、そのあとの2個目は赤色の飴玉がコロンと出てきた。
赤井さんは赤色の飴玉を手にとって自分の顔の横に掲げた。
「はい、これでどうでしょうか。」
「じゃあ、かけます。」
僕は眼鏡をかけた。
赤井さんはおそるおそる僕に尋ねた。
「人生初めての赤色はいかがですか?」
「赤色は.....」
僕はゴホンと咳ばらいをした。
「赤はね。情熱の色。太陽みたいにあたたかくて、光り輝いているんだ。そして血液の色。生きている感じがする。温もりがあって、躍動感にあふれている。そして赤は薔薇。薔薇は見る者をハッとさせるような美しさや気高さを兼ね備えている。僕はこの赤にずいぶん救われてきたんだ。赤は僕にとって大切な色だよ。今までもこの先もずっと.....」
「それって、飴玉の話?.....それとも.....」
僕は赤井さんの手を取った。
「赤井さん。僕は赤井さんの事が好きです。ずっと伝えたかった。どうか僕のそばにいてくれませんか?」
赤井さんは一瞬驚いた顔をした。
けれども
「はい。私も青野くんが好きです。これからもよろしくね。」
とすぐ返事を返してくれた。
とても素敵な笑顔だった。
僕は赤井さんの手を握っている自分の手を引き寄せて、赤井さんが指先で持っている赤い飴玉をカランと口に入れた。
赤い飴玉はとても甘い味がした。
僕は口の中で一気に噛み砕いた。
赤井さんはその光景を見て
照れてしまったのか
またたくさん喋り出そうとしていたので
僕は
「ちょっと静かにしててね」
と言って、赤井さんにそっと口づけをした。
混ざる。
混じる。
交じり合う。
それはまるで絵の具のように
赤と青は混ざり合った。
水槽の赤い金魚は
ゆらゆらとしながら
水中から
赤と青を
しばらくみつめていた。
ーー夜明け前、僕はベッドから起きて赤井さんがいないことに気づいた。
テーブルにメモが置いてありそこには「実家に早く戻る約束なのでごめんなさい。ありがとう。」とだけ書かれていた。
隣には、白いカーネーションが一輪と昨日缶から出てきた紫の飴玉が転がっていた。
僕はカーネーションを花瓶に差し、紫の飴玉をなめた。
そして眼鏡をかけて、1人窓の外を眺めていた。
街はまだ眠っていた。
静かな街並みは音もなくシンとしている。
遠くのビルや街並みは黒い影となり、僕たちの目覚めを待ちながらひっそりと佇んでいる。
ゆっくりゆっくりと太陽が地平線からのぼってくる。
色はそこから手繰り寄せられて光を放つ。
深い夜の青が少しずつ淡く変化してきて赤と混ざり合う。
赤と青と紫のグラデーション。
トワイライト
空は魔法にかけられたようだった。
それはまるで昨日の僕たちのようでもあった。
ああ、なんて世界は美しいんだろう。
僕はその景色にふれて自然と涙を流していた。
***
数か月後、僕はある一軒家の前に立っていた。
横には赤井さんがいる。
「ねえ、緊張してるんでしょ。」
「うんそりゃもう、久しぶりも久しぶりなんだよ。もう5年か6年ぶりくらいかな。」
「大丈夫。私がついています。」と言って赤井さんは僕の手をぎゅっと握りしめてくれた。
僕は今から両親に会おうとしている。
けれども、きっと、両親に会ったところで、僕の中にはもう透明人間は出てこないし、何より僕は「ダメ」で「かわいそう」なやつでもない。
それは僕の家にある空のサクマドロップスの缶が物語っている。
僕はたくさんの色を赤井さんとともに取り戻した。
そのカラフルさは、リオのサンバカーニバルにだって勝てる自信がある。
空っぽのドロップス缶にはたくさんの希望がつまってるんだ。
僕たちは同じ世界が見えていない。
その事実はずっと変わらない、けど。
例え2人が同じ色が見えていなくても、同じ世界じゃなくたっていい。
僕は僕に偶然にも与えられたこの身体を愛してるし、今この瞬間を愛する人と生きていたい。
お互いに持っている色、生まれつき持っている素敵な色を抱えながら、たくさんのしずくたちがグラデーションの海で泳いでいけたら。
僕はまだまだこの世界で笑う事ができる。
それが今後たとえ.....関わりの中でわかりあえなさや虚しさを感じたとしても
僕たちは歩んでいける。
このカラフルな世界で
僕は
君と一緒に
どこまでも歩いていけるのだから。
おしまい。
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