見出し画像

【創作】Drops⑦

7話 迷子のももちゃんとマリーゴールド


「待って!!」

後ろから足音と聞き覚えのある声が近づいてくる。


振り向くと赤井さんが息を切らして立っていた。


僕たちはちょうど橋の上にいた。

海からの風が下流からふきあげて、近くの木の枝と葉をざわざわとゆすった。

赤井さんの茶色の髪の毛が、風に舞う。

赤井さんが何かを言いかけたその時
割と近い場所から「えーん」と子供の泣き声が聞こえてきた。


僕たちが視線を向けると、4〜5歳くらいの女の子が涙を流して立っていた。見た目は隣のトトロのメイちゃんのように髪の毛を二つ縛りにしたような素朴なかわいらしい子だった。

「こんにちは。どうしたの?お母さんとはぐれちゃった?」
赤井さんはその子に近づいてしゃがみこむ。やさしく声をかけているそばに僕も近づいて様子を伺う。

「ママと、一緒に、ひっ、いたんだけどね、ももが、気づいたら、いなくてね、ふぇっ、どこにいったのか、わからないの。」

「お母さんと最後にいたところ。覚えてるかな。お母さんにはきっと会えるから大丈夫だよ。」
僕は女の子に話しかける。女の子は安心したのか、さっきより派手に泣き始め、会話にならない。

赤井さんは自分のカバンからサクマドロップスを出して飴玉を取り出した。

オレンジの飴玉を女の子に渡す。

「ももちゃんはみかん味の飴は好き?もし、良かったら食べるかな。」

「食べていいの?みかん味?」

「そうだよ。オレンジ色はみかん味、太陽みたいにあったかい元気の出る味だよ。オレンジの色の物、なーんだ!はい、そこのあなた!」

赤井さんは急に僕に話題を振る。

「お、オレンジ色は....に、にんじん!」

僕はオレンジは認識できない。オレンジという概念はわかる。オレンジの物がある事はわかっている。にんじんがオレンジ色をしている事も知っている。しかし、正確なオレンジ色は思い浮かべる事ができない。

オレンジがわからない自分がオレンジを人に伝えている事自体が、僕はなんだかたまらなくおかしくて、くすくすと笑い出した。

「お兄ちゃんおかしいの?ふふふ。」

女の子は飴をなめながら微笑んだ。だいぶ気持ちが落ち着いてきたようだ。

「じゃあ、そんな君にプレゼント。僕の手を見てて。両手にはなんにもありません。いい?」

「うん。ないみたい。」

女の子は興味津々だった。赤井さんも覗き込む。

「いくよー、1、2、3!

ほら、お花が出てきました!どうかな。素敵な君にさしあげましょう。」

僕の手の中に小さい造花のマリーゴールドが出てきた。

女の子が「すごーい!!」と喜ぶ横でそれ以上に赤井さんが「何それ!!すごいっ!!!」と大きな声で驚いていた。

3人で笑っていると、若いお母さんらしき人が僕たちを見つけて駆け寄ってきた。

女の子は無事にお母さんのところへ戻る事ができた。ももちゃんは小さく僕に手を振りながらマリーゴールドの花を握りしめてお母さんに嬉しそうに話しかけていた。

赤井さんは「青野くんはずるい。どんな必殺技なの。驚いたよ。」と笑顔で近づく。

「手品にね。一時期はまってて....。こういう小道具を実はいつも持っていたりするんだよね。お役に立てたようで良かった。」

「やっぱり青野くんってネクラー!」

赤井さんはゲラゲラと笑う。

「赤井さんはだいぶ失礼だよね。もっと褒めてくれてもいいんじゃないかな。」

2人でひとしきり笑いあったあと、赤井さんが話し出した。

「あのね、木曜日は確かに駅にいたよ。私の弟がね、久しぶりに会いに来てくれて、それから一緒にご飯を食べたの。大学生でね、今は実家に住んるの。」

赤井さんは話し続ける。

「私のお母さん。今入院しててね。もうしばらく目を開けてないの。母はお姑さん....私のおばあちゃんと折り合いが悪かった。おばあちゃんが厳しくて、こういっちゃなんだけどいじわるな人でね。それで介護が必要になって、母は必死にお世話をしてたんだけど、おばあちゃんの態度は変わらなかった。....ごめん。突然こんな話して大丈夫かな?用事があるんだっけ?」

赤井さんは不安そうに僕を見つめた。

「うん。話を続けてほしいな。用事はもう大丈夫だから。」

僕の返事に赤井さんはほっとした顔をしていた。

「ありがとう。母はだいぶ消耗してるのはわかっていたのだけれども、そんな愚痴とか吐かずにね、いつも笑顔だった。それでおばあちゃんはある日心筋梗塞で亡くなっちゃったんだけど、そのあとに母は体調を悪くしてね。悪くしていたのだと思うのだけれども、その姿を私に隠してたんだよね。私は当時大学生で実家からもう出ていたから。父に様子を後から聞いて...母は他の家族にもあまり言わなかったんだと思うのだけれども。

そんな状態だったから仕方ないとは思うんだけど、ある日自宅で倒れているところを弟が発見した。脳梗塞だって。私が病院に着いた時はもう意識がなくて。それで目がずっと覚めずにいるの。」

「大切な人の病気ってその話だったんだね。ありがとう話してくれて。赤井さんはつらいよね。」

「うん。そう。一つは母の話だったんだな。ごめんね。しめっぽい話になっちゃって。だから実家にいる弟に私もだいぶ頼っていて。たまに会って近況を聞かせてもらうの。私も実家が県外だからなかなか会えなくてね。助かってる。いい弟だよ。」

僕はとんだ思い違いをしていた事に恥ずかしくなった。そして、赤井さんは大変な状況なのに、僕は一緒にいた男性が弟さんであったことに心底安堵している自分もいて、ますます恥ずかしさが増した。

赤井さんはそんな僕を知ってか知らずか橋の柵にもたれながら話し続ける。

「あの子。無事にお母さんの元に戻れて良かったね。親子の姿を見てたらね。私も思い出しちゃった。ああいう風に私もかわいがってもらったんだろうなって。それでついつい青野くんに話しちゃいました。聞いてくれただけで心が軽くなったよ。」

「こちらこそ、話してくれてありがとう。先程は弟さんの事、変な風に聞いてごめんね。」

僕は素直に謝罪した。何か彼女の力になれる事があるといいなと感じた。

赤井さんは僕にこう返した。

「今度は青野くんの番だよ。青野くんの気持ちや考えている事を教えて?さっきはなぜつらそうだったの?」

風が下流からまた吹き上げる。川には船が一艘ゆらゆらと浮かんでいて、沈みかけている太陽を浴びた水面はきらきらと宝石のように光で反射していた。どこかからか水鳥が音もなく飛び立った。

僕は何かを決意して
彼女に自分の話をする事にした。

『もう大丈夫。』

なぜだか僕は安心していた。

彼女ならきっと受け止めてくれる。

そう、信じて....ゆっくりと自分の話を話し始めたのだった。


つづく。


サポートは読んでくれただけで充分です。あなたの資源はぜひ他のことにお使い下さい。それでもいただけるのであれば、私も他の方に渡していきたいです。