そこに愛はあるのかい
私の寝室には、今、裸婦の絵が飾ってある。
この裸婦の絵は描きたての油彩なので乾かす必要がある。私は、子供たちがあまり目にふれることのない部屋にひとまず置いておくことにした。
4月に通信制の美大に入学した。
私は洋画コースを選んだ。
美大と一口に言っても、その中で様々なコースがある。日本画、陶芸、染織、写真....知識系なら、芸術教養、アートライティング....デザインなら、グラフィックや建築やランドスケープなどなど。
通信制だが、通信教材だけでは単位が取得できない。スクーリングといって、学校に月1〜2回通う必要がある。
1回のスクーリングで約30人くらいの方が参加している。毎回通っているメンバーはみんな同じ顔ぶれが多い。
私は入学式から、まわりの同級生をこっそり観察している。人間観察は昔から好きだ。
そして、もちろん友達はいない。
自分から話しかけようとは思わない。
友達を作りたくて入学した訳でもない。
一人が気楽だし、むしろ一人の時間が欲しくて参加したようなものである。もしどうしても話しかけたくなってしまえば私の性格からいって話しかけるとは思う。けれども私がそうやって興味を持って人に話しかけるのは、宝くじに当選したりハレー彗星が見られる回数よりは多いとは思うけど、よほどの事なのだ。
話しかけるまではいかないけど、何人か気になる人はいる。
例えば、あそこにいるグレーヘアーのマダム。動きはゆったりしていて、いつも服装はシンプルだけど、どことなく品がある。先生にはきちんと質問を投げかけていて、不安そうな表情の陰にはしっかりした一面も見られる。
何を求めてここに来てるんだろう?と思う。単純に興味がある。そして、ああいう風に年を取りたいなと思いながら、いつも私は気にしている。
緑の髪の女の子。入学式からかわいいなと思っていた。
華奢で若くていつもメイドさんみたいな格好をしている。今回は髪がシルバーになっていて、夏らしく涼しげだ。前回は隣で絵を描いていて、2日目の午後にこっくりこっくりと居眠りをし始めて、先生に静かに起こされていた。
今回は、事前課題で各自キャンバスを自分ではることになっていたのに「すみませーん。はってあるのが売ってたからそれを買ってきちゃいました!」と屈託もなく報告していた。先生はまるで漫画みたいにずっこけていた。
なにそれ!超おもしろい!
と私は思う。
前回あれだけ説明されていたのに、マジかー!?キミ!と思う。
私は自分にないものを持ってる人が気になる。
だからいつも教室の隅でこっそり観察してる。
おそらく普段は管理職みたいな仕事をしていそうなおじさまや、めっちゃ上手くてぞくぞくする作品を書くキャップをかぶった物静かな男性、ジャージでくるアジアの外国人、すごくポップな格好のふくよかな女性の方。みんなそれぞれ、愛着はある。
それぞれの人生があるのだろうなぁと思う。
今回の被写体はヌードモデルだった。
今まで牛骨、石膏像、布で巻かれた樽、パイプ椅子、観葉植物....ときて、前回に続き、対象物は人である。
私は「あ、人って楽しいかも....!」と前回から思っている。
人を書くのは楽しい。今までの静物画と違って当たり前だが生きている。まばたきする。そこに温度を感じる。うごめくものがある。気持ちがある。奥から放たれる光みたいなものを感じる。
そして、職業柄か、案外解剖には詳しいのだ。
肌をみていると、その下にある筋肉が見えてくる。骨も見える。脊椎が縦に並んでいてその前方に内臓もあるのだろうなと思う。
こんなに人の裸をみつめたことが人生の中で今まであったのかなと思う。
おそらくない。
自分のだってこんなに見たことはない(自分のなんか見たくもない)
今回のモデルは美人さんだ。
途中で指導にまわってきた先生に「くまさんの絵はモデルさんの雰囲気が出ていて、パッと見た時に『あぁ〜あの人を描いたんだ』ってすぐわかりますよ。」と言われた。
私は「このモデルさんは美人さんなので、それをどうにか伝えたいと思うんです」と気づいたら先生に熱弁していた。
そこで私は、自分がモデルさんに愛着を抱いていたことに気づいた。
「対象物に愛を持つように」
とまだ、スクーリングが始まったばかりの頃に言われたような記憶がある。
別に愛がなくとも、うまく描ける人もいる。惹きつけるような描写ができる人も絶対いる。
私は何も意識して愛着を持とうとした訳ではなく、自然と勝手に愛着が己の中に形成されていた....ようだ。
いろいろ彼女に聞いてみたい。
筆を走らせながら、頭の中で彼女に対する質問が泉のようにわき出てきて止まらない。
なぜヌードモデルをやろうと思ったのか。
どういう風に今まで過ごしていたのか。
自分自身は絵を描くのか。
美術に興味はあるのか。
バイト代はどれくらいもらえるのか。
モデルの時間は何を考えて時間をつぶしているのか。
今まで起きた印象的なシーンはあるのか。
もう、興味津々である。
モデルさんはそんなに長くポーズを取っていられず、20分ごとに休憩が入る。(20分だって同じ姿勢を取るのはけっこう大変らしい)
休み時間に、年配の女性の生徒さんたち2人がホワイトボードを眺めて、残りの時間を確認していた。
その時にモデルさんは、彼女たちが何を確認したかったのか気づいたようで
「あと2回(2クール)ですよ」
と話しかけていた。
ところが、である。
その生徒さんたちは、全く彼女の存在に気づかなかった。
相変わらず同じ話を続けている。
『ええー?!気づいてよ、おばちゃん!!せっかく教えてくれているのに!!』(もう遠慮なく私も勝手におばちゃん呼びになる)
彼女はもう一度話しかけたが、のれんに腕押し状態で声は届かず、生徒さんたちはその場を離れた。
私はモデルさんに「ありがとう、ごめんね』と関係ないのに心の中で謝ったり『どうせ話しかけるなら私に話しかけてくれたらよかったのに』とよくわからない嫉妬心をめらめらとさせていた。
ああ、そうだ。
そこに愛はあるのかと問われれば
そこに確かに愛はあったと答えよう。
スクーリング中に
ずっと1人で過ごしてる私の頭の中が
こんなにいろいろぐるぐると動き回って
勝手に愛まで感じていることを
誰も知る由がない。
それでいいんだと思っている。
『知っているのはお前だけだろう。』
私は部屋の片隅にいて
乾くのを待っている
裸婦の絵に
今日も語りかけている。
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