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ざらざらをさわり、弱さを愛す

様々なものにふれる

つるつる

さらさら

ふわふわ

心地よいもの

そして心地よくないもの

ざらざら

べたべた

ちくちく

違和感やずれがあることに気づく

それは世界がずれているのか

それとも私がずれているのか


以前あるOTの勉強会に参加していた時に出会ったことば

差異を生み出す差異

平らなものにふれてすーっと指を滑らすときに

一ヶ所だけあるでっぱりに気づいたとする

そこがわずかに膨らんでいるのは

目をつぶっていても指先の感覚でわかる

その時に知ることができるのはそのでっぱりだけではない

そのでっぱりが私の指先を皮膚を押し上げる。私の指先は圧を感じる。そして指先はわずかにへこんでいる。

でっぱりは世界。世界を知ると同時に私は己を、己のへこみを知ることになる。

私のへこみは私に起きていること。私の身体の変化だ。そのへこみを私はどのように感じているか。

神経がうまく働かず感覚の障害があると、そのへこみを感じることができない。実際には指がへこんでいても、感知することができないのだ。

人によってへこみをうまくとらえられなかったり、あるいは思った以上にへこんでいるように感じることもあるかもしれない。

それは自分の中のずれであり

人とのギャップであり

違和感であるかもしれない。

自分の中の差異は、世界の差異にふれることで気づく。

私たちは普段、思っている以上に自分を感じることができていない。

それは一つ一つ感じていると、効率よく動くことができなくなってしまうからだ。いちいち立ち止まっていると現代的な生活は成り立たない。感覚をわざとそこで鈍化させることで、私たちはなんとか日々を生産的に生きていられる。

だから普段は気にしない指先のへこみは

世界のでっぱりによって気づく。

このへこみは自分の弱さでもある。


弱さを感じること。

私は今それに向き合う。

へこんでいることは心地よくない。

けれども、私のへこみかたをよくとらえることが大切だと思う。

私の身体に心に何が起きているのか。

こわばりを感じる

そしておそるおそる動いてみて

揺れてみる。

己の中に潜る。

自分自身と深く繋がる。

ざらざら、べたべた、ちくちくをさわり感じた時の

不安や恐怖や違和感に支配されず

そこで立ち止まって己を見つめる。

大切で手放したくないものなら

そこで感覚を鈍化させずに、きちんと感じられる人間で私はいたい。

ことばにならない思い

ことばにならずにこぼれてしまったものを

すくいあげる。

弱さと向き合うことは痛みを伴う。

「思考」ではなく「思索」「思念」が必要だと、ある随筆家は言った。

ことばにならない自分の「念い」を感じとることで、光を見出すことになるのではないか。


弱さを見つめ、受け止めることで

私は自分を受け止め、自分を愛すことができるように思う。


メルケル(ドイツで初の女性首相)は「わたしの信仰」という講演録の中で以下のように話している。

人間はそもそも自分を愛し、自分を信じ、自分自身を理解していなければ他者を愛することもできません。

自分を愛するためには

弱さを愛おしむこと。

そして自分の弱さを抱きしめている時に

きっと

相手の弱さを抱きしめることができる。


差異を感じること。

ざらざらをさわって、変化を感じることを

恐れながらも、すすんでいくことを

あきらめないようにしたい。

本当に自分よりも大切なものに出会えた時に相手を愛おしむためには、まず己を愛すること。

私には今それが必要なのだ。










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