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つるとパチンコ

折り紙のつるを見ると思い出す人がいる。


そして思い出すたびに、懐かしい気持ちと、胸がぎゅっとなるような、わずかばかりの心苦しさを感じたりもする。

彼女はある日、いきなり私の元を去った。

彼女が最後に何を言ったのか

私が最後に何を言ったのか

私は全く覚えていない。


私がまだ幼かった頃。
私はある女性にずっとかわいがられていた。


彼女は、祖父母がお世話になっていた人で、昔でいうところの「女中」さんだった。
祖父母は料亭を営んでおり、年を取ってからは小料理屋を経営していた。

小料理屋の店舗は、祖父母の自宅の一階を占めており、二階が私たちの住居だった。

この二階の住居で私は生まれた。

私の両親は、しばらくしてから近くの小さなアパートに引っ越した。


両親が引っ越した後も、私は祖父母の家に半分くらいは住み続けていた。祖父母の家には、祖父と祖母と叔父と....そして彼女がいた。


彼女は髪の毛にくるくるとパーマを当てていたのか、それとも天然パーマだったのかはわからないが、きつめのくるくるとした白髪混じりの髪の毛がトレードマークだった。

目はぐりっと大きく、驚いて見開くとさらに目力が強くなる印象。花柄の木綿のワンピースみたいな服を着ていることが多くて、昔懐かしいサザエさんみたいなエプロンもしていた。


年齢は祖母とあまり変わらない印象だったが、もしかして祖母よりもやや若かったのかもしれない。おそらく50代くらいである。

彼女は、私をたいそうかわいがった。

それはもう、猫可愛がりとはまさにこのことかなと思うくらい。

そのことばのお手本かなと思うくらい。

私を甘やかしていた。

私のことをいつも笑顔で見つめていたし、必ず声をかけ、一緒に遊んで面倒を見てくれた。

彼女と公園に行ったり、駄菓子屋さんに行ったり、海に行ったり、祖母を伴わず2人で行動することも多かったと思う。祖母と私と従兄弟の熱海旅行にだって彼女はついてきた。それくらい、彼女は私たち家族と密な関係だった。

彼女は私の祖父母の家から徒歩15分くらい離れた場所の古めかしいアパートに1人で住んでいた。そのアパートは随分と柱や屋根の金属が錆びついていた。洗濯機も外に設置されており、二階建てで、住んでいる人もまばらだった。部屋もかなり狭かった。畳が色褪せてじとっとしていた。日当たりも悪く室内も暗かった。彼女の性格からか、部屋は脱いだ衣服が置いてあったり、食べかけのものがあったりと、私の家と比べると少々乱雑であった。
少し細い路地の定食屋さんやお茶屋さんの並びにあるパチンコ屋さんまで行くと、目の前にのびている人しか通れないさらに細い路地がある。5mほど進むと、彼女のアパートの端っこにたどりつく。私はそこに連れて行かれた記憶もあるし、その向かいのパチンコ屋さんに彼女がよく行っていたことはなんとなく覚えている。(私がそのパチンコ屋さんに毎回連れていかれていたのかどうかは記憶が定かではない。しかし、店内の様子は今でも割と思い出せる)

パチンコ屋さんというのは、かなり店内の音が大きい。今と違って喫煙している人も多かったので、もくもくと煙たく、私にとっては完全に異世界であって、また大人の世界でもあった。

私の住んでいた祖父母の実家があった場所も、小料理屋を営んでいたこともあって、地区的には商業地域であった。近くには民宿や旅館、トンカツ屋さん、ヤクザが大もとのラーメン屋さん、映画館、寿司屋、スナック、銭湯、老舗の食事処など、比較的大人の出入りがある場所であった。特に夜になるとお店にネオンが灯り、きれいな着飾ったお姉さんが現れたり、酔っ払う男性客などが見掛けられ、華やかで賑やかな雰囲気になった。

私は幼かったので、めったに夜の繁華街を歩くことはなかったが、時折、両親のアパートと祖父母の家を遅い時間に行き来することもあったので、歩きながらその夜の大人の雰囲気をひしひしと肌身で感じていたのだと思う。

昔は芸者が行き交っていたこの街のかつての華やかさは、少しずつ失われ、私が生まれた頃は陰りを見せていた。

祖父母の家の斜めはすむかいに白い石造りで建てられた...昔は白かったのだろうが、その時はもう壁がくすんで欠けていたのだが、得体の知れない建物があった。
やはり色褪せたあずきのような色で描かれたシルエットはどう考えても女性の裸体をしめしていた。何人もの女性のシルエットが様々な格好でポーズをしている。イメージとしては箱根彫刻の森美術館に描いてあるようなかなり抽象的な絵だ。
それはかつてストリップ劇場だったことを私は少し大きくなってから誰かに聞いて知った。

街は、昔の熱や、活気が、まだそこかしこでくすぶっていた。確実に街自体は賑わいを見せてはいたのだが、いずれ斜陽化していく未来をはらんでもいた。

少し話は脱線したが、要するにそんな街に、私がお世話になったその彼女はよく似合っていたのだ。

タバコをくゆらせ、酒を呑み、花札にお金を賭けながら楽しんでいた姿を思い出す。

これが大人なのだな、と私は思っていた。

私は大人たちが遊んでいるとつまらないので、座布団を重ねて崩れずに座る遊びをしたり、座布団を何枚も畳に置いて、飛び石に乗るように畳に落ちずにジャンプをしたり、花札の絵を見ながら、猪と鹿と蝶がお互いに遊び合うようなストーリーを空想したりしていた。

彼女のことを私は「おばさん」と呼んでいた。

おばさんは、私と2人で留守番などで過ごす時に、よく折り紙を持ってきた。


折り紙を使って、次々と私の目の前で作品を完成させる。

ヨット
やっこさん
つる
おサイフ
お家

アサガオ
えりまきとかげ

私は毎回、その迷いのない指の動きに、大変惹きつけられた。

一枚の紙が

またたく間に何かのカタチになること。

「すごいね!」

幼い私は素直な気持ちで、キラキラとした眼差しで彼女を見つめていた。そして、彼女もやわらかな表情で、私につるの折り方を熱心に教えた。


ある日、突然彼女はいなくなった。


私はそのいなくなった日を覚えていない。


彼女の存在は泡のように、消えるのがごく自然であったかのように、最初からシナリオが組まれていたかのように、見事に私たち家族から忽然と消えて無くなっていた。それは私が小学校に上がる前であった。


そして、記憶がこちらも定かではないが、ある日突然、彼女は私たちの目の前に現れたのだ。


私はすでにその頃中学生になっていた。


祖父母の家での生活より、小2の頃に両親が購入したマンションでの生活の比重が大きくなっていた私は、彼女の帰還を喜んではいたものの、あまり、彼女と話した記憶がない。

少しの間。彼女は祖父母の家で暮らしていた。

そして、しばらくしてから彼女は家を出て行った。


それ以来、私は彼女の姿を見ることはなかった。


詳しいいきさつは祖父母にも両親にも聞いたことがない。

ただ2回目に彼女が戻ってきた時、祖母はあまり彼女に対して、友好的な態度ではなかったこと。


「いつ出て行ってくれるんだろう」とぼやいていたことをなんとなく耳にしたこと。


よそよそしい家族の雰囲気にのまれ、思春期だった私も、あまり彼女に対して、昔のように甘えたり話しかけたりすることができなくなっていた。



つるをたまに折る。



仕事で、手がうまく動かなくなった方と、リハビリと称して.....それは練習であったり、評価としても用いたりするが。


つい先日も右手が麻痺した方と折ってみた時に


私は心の底が少しだけ、揺れた。


パチンコ屋さんの横を通って、あのじゃらじゃらとした喧騒が聴こえると


やはりなんだか切ない気分にもなる。


人はずっとそばにいない。


そんなことを幼いながらに思った。


当たり前だと思っていたこと。

続くと思っていることは


本当に一瞬の繰り返しで

いつも同じ点をうち続けられるかと、そういうものでもなくて

打刻しあっていた関係は


ある日を境に叶わなくなることを

私はよく知っている。



彼女に....おばさんに教えてもらった折り紙は、まだ私は覚えていて、そして、全てを折ることができる。

私の中に残された彼女は、今もこうして生きている。


今、過去をやり直せたとして

彼女に最後のことばを

お別れのことばを言うことが

叶うのであれば


私は何を言うのだろうと。


つるを見るとこぼれる気持ちや


叶わない夢を

見続けて

逡巡している自分にふと気づいたりする。


そんな時に、同時に思うのは


ああ、私は1人ではないんだなと。


誰かのカケラに生かされていることを


私はまた感じるのだろう。




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