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うかつに愛もささやけない

先日の読書感想文。

ヤンデル先生の著書のことを書いたら、ヤンデル先生ご本人から「スキ」を頂いていた。

気づいた時には、びっくりしすぎて朝からアルマジロのように丸くなって震えていた。

そして夫に報告した。

「ヤンデル先生が△×dcえかcいw!」

夫はかわいそうなものを見る目で私を眺めていた。

そして先日、私はまたこりずにワタナベアニさんの著書のことを書いたら、アニさんご本人からコメントまで頂いてしまった。

気づいた時には、びっくりしすぎて朝からダンゴムシのように丸くなって思わず会社を休もうかと思った。

そしてやはり夫に報告した。

「アニさんが☆wあvうcd※wsj!」

夫は「関係ないから会社は休まないように」と一言言って去っていった。


と、いうのは嘘で、夫もこのことを喜んでくれた。

そして「自分の好きな人に好きなものを伝えられて良かったね。」と言ってくれた。

今の時代はおそろしい。簡単に人にことばを伝えられてしまう。改めてSNS時代のおそろしさに驚愕してしまった。(とてもアナログ人間なのです。)

私は「嫌いなものに嫌い」と言ってしまうことにはとてもためらいが生じるのだが、「好きなものに好き」というのは、とてもできてしまう。(日本語が変だ)もっと言うと、少々できすぎてしまうくらいだ。

毎日夫や子どもに嫌がられるくらい「大好き」と伝えている。

同僚や利用者さんにも「〇〇さんのこういうところが好きなんです」とついつい考えなしに言ってしまう。

世界の中心にいなくたってできてしまう。(古い)

なるべく自分の愛を伝えたい。

この熱や感動を届けたい。

でも届けるだけで十分で、見返り的なものはもちろん期待してない。

それは、私にそんなことをされても、当然相手は迷惑に思っているだろうという低い自己肯定感からくるものである。

だから、何かが返ってくるとむしろびっくりしてしまう。そして、何だか死にそうになってしまう。

うかつに愛もささやけない。

今は瀕死の状態です。

でも、こういう「好きを伝える性格」だったから良かったこともあるかもしれないので(むしろ結婚なんかはそれが功を奏したのかもしれない)、これからも変わりなくやっていきたいと思う。というか、変われないと思っている。

私自身は本当につまらない人間だし、大した取り柄もなく、何とか生きているだけで精一杯だ。よく利用者さんにも言う。

「私の日々は息を吸って吐いているだけです。その繰り返し。」

だから、どうあがいたって、太陽にはなれない。

自身で強い光をはなつことはできない。

でも、「月」にはなれるかな・・と思っている。

誰かの素敵な光をみつけて、それを伝えることはできるかもしれない。

精一杯、愛をこめて反射するやわらかな光で、もしかして、少しだけ体があたたまる人がいるかもしれない。

光の中で、自分を許せる心を持てるかもしれない。暗闇で迷っている人のわずかな道しるべになれるかもしれない。

そんなことを思いながら、懲りずに愛をささやいてみる。





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