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年末年始のうみべのストーブと雲
大変遅くなりましたが
あけましておめでとうございます。
もうおもちは充分に満喫したくまです。
あとはおしるこを食べたいなと思うくらいです。
体重計には乗らないでしばらく知らんぷりを決め込んでおこうかなと思っています。
大丈夫、あの人そんなにさみしがりやじゃないからさ。1人が好きなんだよ、体重計くんは。この前もソロキャンプとか行ってたみたいだし。
.......一昨日からお仕事なので、ちょっと妄想や現実逃避も度が過ぎました。すみません。
頭がおめでたいので、新年早々、数々の失敗をやらかしております。(まわりから見たらいつものことかもしれない)
(昨日は有料駐車場にお財布を忘れて入ってしまいお金が払えなくて出られなくなってしまうという珍事をおこしております。夫にあとで聞いたら「入って10分くらいは無料で出られるんじゃないの?」とも言われました。)
話が脱線してきたので
話題を突然変えますが
今年の目標みたいなの、あるじゃないですか。
目標って節目に絶対聞かれますでしょ?
私は以前から目標とか聞かれてもちょっとよくわからないんです。
仕事に関してはたぶんいろいろ決めなくちゃいけないと思いますが......むしろおのずと決まっていくものなんでしょうが。
そうじゃなくて、私個人としての目標は
とくにありません!
...............................。
と書くと、ここで終わってしまうので.....。もう少し書いてみようかなとは思いますが。
やっぱり今更ですが
doingも
beingも
意識する
なのかなと年末に思った訳なんですよ。
何を言っているのか。このくまは?
と思った方はググってもらえればすぐそんな感じの説明がすぐ出てくるとは思います。
何をやるか?に偏らずに
私は私で在ることを大切にしたい。
ひとことで言うならそれです。
それでね、年末にある一つのマンガを読んだのですよ。
このマンガは短編集なのですが
控えめに言ってわたし的には
最高!
でした。ひとつひとつが宝石みたいにきらきらしていて、色合いが....輝き方が、それぞれ全然違う。
読んでいるとグッ!とくるところが何ヶ所もあります。読んでいると自分を大切にしたくなるのです。
その中でこの表題作でもある「うみべのストーブ」のストーブの話を、今日はしたいと思います。
このお話は体温の低いスミオと、平熱が高いえっちゃんが出てくるストーリーです。
運命のように出会ったえっちゃんとスミオにも、ある日訪れた別れ。傷心のスミオを海に連れ出したのは、隣で彼を見守り続けていたストーブだった…。
「ふたりが…お互いに、好きだったこと 私はちゃんと覚えてる 何度だって思い出すよ」
心が少しずつ離れてしまうこと。
それでも過ごした日々はとても大切だったこと。
いつもそのかたわらにはストーブがいてくれたこと。
映画も3人でみていたこと(スミオとえっちゃんとストーブ)
ストーブはいつも2人をあたため、近くでその様子を見ています。
えっちゃんに別れを切り出されて、泣いているスミオにたまらなくなったストーブが話しかけます。
そのストーブとスミオが、えっちゃんが以前行きたいと話していた海にでかけるお話なのです。
人と人が相対するとき.....特に近しい人などは、お互いの領域に入り込むことも多いですよね。
その中で傷つきあったり、期待しすぎたり、不必要に比べたり、人と生きていくことはどんなに好きな人だって大変なことです。
ストーブは、いつも見ているだけです。
でもこの「見ているだけ」の存在が時には人を生かしたり、力を与えてくれたり、存在をやさしく肯定してくれるような気もします。
そんなやさしいお話を年末に読めたことが私は嬉しかったのです。
私も自分の人生の中でご縁があった人は、一期一会だと思いながら、関わりが薄くても、その人が生きていること、生きている瞬間をいつもかたわらで見届けたいなと思っています。
そして、その人が忘れてしまっても私はその人がその人であった瞬間をなるべく覚えていたいなとも思います。
あと、以前から書いているかもしれませんが、あまりラベリングをしたくないんです。
「この人はこういう人」
「この人はいつもこの場面だとこう思っているはず」
「この人はこれが絶対好きなはず」
とか………。
そういうのって覚えておきたいなとも思うのですが
覚えていることで、お互いに良い雰囲気を作り出せるとこも大いにあるとは思うのですが
いつもいつもその人は同じ状態ではないですよね。
人は常に変化していく。
動的なものであると思っておりますので。
私は割とそれをやりがちなので
今は自戒をこめて書いているのですが
よく顔なじみの人こそ、近くにいる人ほど、意外な顔を見つけていきたいのですよ。
例えば不器用な人の器用な一面とか
器用な人の不器用な一面って
けっこう心がくすぐられます。
かわいいな、あれ….すごいじゃん!みたいなのって
私の中で最上級の褒めことばなんですけどね。
そういうのを発見していける年にしたいなと思っております。
もうひとつ。
雲の話。
結構記念日(1/2)に夫婦で映画を見たのですよ。
映画のタイトルは「コーダ あいのうた」
私の好きな社会学の先生の岸政彦さんが見た!とおっしゃっていたので、ふと思いついた私の提案で見てみました。
豊かな自然に恵まれた海の町で暮らす高校生のルビーは、両親と兄の4人家族の中で一人だけ耳が聴こえる。
陽気で優しい家族のために、ルビーは幼い頃から“通訳”となり、家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。
新学期、秘かに憧れるクラスメイトのマイルズと同じ合唱クラブを選択するルビー。
すると、顧問の先生がルビーの歌の才能に気づき、都会の名門音楽大学の受験を強く勧める。
だが、ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられず、家業の方が大事だと大反対。
悩んだルビーは夢よりも家族の助けを続けることを選ぶと決めるが、思いがけない方法で娘の才能に気づいた父は、意外な決意をし・・・。
この劇中歌でジョニ・ミッチェルの
青春の光と影(Both Sides Now)
を手話つきで歌うシーンがあるのですが、観ていて心がぶるぶる震えました。
歌詞の中では、雲を比喩的に表現しています。
風になびく天使の髪
空に浮かぶアイスクリームのお城
そしてあちこちへ流れて行く羽毛の渓流
わたしはそんな風に雲をみていたわ
けれど今それは太陽を覆い隠し
雨や雪を降らせるだけのもの
やりたいことがたくさんあったのに
雲が邪魔をして来たの
今わたしは雲を両側から見つめている
上の方や下の方から、あれやこれやとね
でもそれは雲の幻影だって気がついたの
本当は雲のことなど何もわかっちゃいないんだって
めぐり来るお月様と六月*そして観覧車
くるくると目が廻るダンスみたいに
おとぎ話が本当になると
わたしはそんな風に愛をみていたわ
けれど今それは別のお芝居のことのように思える
舞台を下りるときは何もかも忘れ笑って消えるの
後ろ髪引かれたって気にしちゃいけない
自分の何もかもさらけ出す必要なんてないんだから
今わたしは愛を両側から見つめている
与える側やもらう側から、あれやこれやとね
でもそれは愛の幻影だって気がついたの
本当は愛のことなど何もわかっちゃいないんだって
涙と不安そして誇らしい気持ちで
「愛してる」って大声で叫ぶこと
夢、陰謀そしてサーカスの人混み
わたしはそんな風に人生をみていたわ
けれど今幼なじみたちは困った顔をして
頭かぶりを振りながら私が変わってしまったと言う
そう、いろいろあったからね
今日まで生きて来た間には
今わたしは人生を両側から見つめている
勝者の側や敗者の側から、あれやこれやとね
でもそれは人生の幻影だって気がついたの
本当は人生のことなど何もわかっちゃいないんだって
雲は下から見たり上から見ることで、とても素敵なものになったり、あるいは自分のやりたいことを邪魔するようなものになったりするという表現をされていて、映画では、難聴の家族と、社会と、間に挟まれている主人公の想いが、このシーンと重なっていきます。
彼女はお互いの懸け橋になり、歌うシーンでは声で審査員に訴えかけながら、同時に手話を用いて家族にもメッセージを送っています。
「本当は何もわかっちゃいないんだって」
愛も雲も、最後はそのように締められています。
わからないからこそ、いいのかなと思うし
わからないからこそのおもしろさや素晴らしさがあるんでしょうね。
私も雲を下からも上からも、いろいろな角度で見ながら
今年もやっていきたいと思っています。
本日は新年をむかえて思う事を書いてみました。
また今年も一年よろしくお願い致します。
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