Nationalism

先日僕はこんなツイートをした。

 これについて、「素朴なナショナリズム」についての話をもう少し詳しく聞きたいと質問箱に投げてくださった方がいらっしゃったので質問箱ではなくこちらで詳しく述べようと思う。まあただの新右翼の思想の焼き直しですが。

 そもそもこのツイートは、ごちゃごちゃになった論点をかなり乱暴に一言で表してしまっている。もう少し丁寧に僕の思うところを描写したい。まあ居酒屋のノリで聞いてくださいな。
 このツイートに関わってくる僕の問題意識は2つ。1つ目は日本にはナショナリズムが足りないこと。2つ目は地縁的結合が無いこと。地縁的結合の話はまた後日。ここではナショナリズムについて話しますね。
 

nationalism

 ナショナリズムは愛国主義、排外主義、民族主義とよく混同されるし、戦前は実際そうだった。それを理由にナショナリストは「右翼」のレッテルを貼られることもしばしばある。しかしここで述べるナショナリズムは、国家を単位とした構成員である国民=nationを維持発展させるという本来の国民主義だ。そこに門地や経済力は一切関係なく、ただただ「同じ国民」であるというだけで助ける理由になりうるということだ。要は同胞意識である。僕は主観的ではあるものの、日本人にはこれが足りないと思っている。

 僕が中学三年生の時にISILによる邦人の人質殺害事件があった。あの事件に対する世論の反応はどんなものだったろうか。「あれは自業自得」「危ない場所に行った奴が悪い」「死んで当然」というかなり冷淡な自己責任論がネット上を跋扈し、芸能人等もそのように発言していたと記憶している。現在国家は福祉国家へ変化したものの、本来は夜警国家、安全保障が国家の存在意義のはずだ。どのような手を使ってでも国民の生命財産を守ることが国家の使命であると信じて疑わない僕には、かなりショックだった。「遥か遠くアラビア半島で同胞が殺されようとしているのに、何故助けようという世論が形成されないんだ」などと友人に愚痴を言った覚えがある。

 少し話が逸れるが、国民に対する日本人の冷淡な態度は、日本人そのものがが初めて“国民”になったときから何度もあった。同じ皇民を育てようとしたくせに、朝鮮出身の“日本国民”に日本人は戦後どのような眼差しを向けてきたか。同じ“日本”だったはずなのに、どこを捨て石にしたのか。それでも彼らは祖国復帰協議会を結成して“日本国民”になろうとした。そんな沖縄に、何を強いてきたか。“国民”という言葉が持つ意味にやはり日本人は鈍感だし、冷淡だ。(これに関する詳細は別の機会に述べようと思う)

 ナショナリズムが欠如した世論は、勿論政府の政策決定にも大きな影響を及ぼす。DVや貧困に喘ぎ身を売る女性達、先天的な障害が理由でロクに教育を受けられない子供達、海の向こうへ拉致された人達など、これらの問題を理解し解決するには途方もない知性と胆力と税金が必要であり、それを支えるのは無条件で同胞を守るというナショナリズムだ。ナショナリズムが欠如した社会には自己責任論が跋扈しやすく、結果としてこのような問題を放置しがちになってしまう。

 では単に「みんな日本国民だー!同胞だー!!!」と叫んで強引に一般化することは、果たして問題解決に駒を進めるだろうか。経済格差の広がりに伴う社会的分断、ネットの普及によるコミュニティの増産は周知の通りだ。それは同時に、個人が“視認できない社会”が増えていることを意味する。同じ国民であっても、想像だにできないコミュニティや階級が生まれるということだ。そのような多元的な社会で生活する人々を一般化することはおそらく不可能だし、差別など新たな問題を生産する可能性すらある。

 では我々が、多元的な社会にナショナリズムを打ち建てるために為すべきことはなんであろうか。教育改革等も必要だが、僕は地縁的結合の再建が効果的だと考えている。しかし長くなるのでこのお話はまたどこかで。

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