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早起きしなくてもいいやと思ったら、早起きできるようになった

早起きをしなければ、とずっと思いづつけてきた。

同居人にも、「社会人になってから、このままで大丈夫なの?」と心配される始末だった。

なぜか、眠気が取れない。

毎朝、「一日が始まらなければいいのに」

布団から出なければ、一日が始まらない。

布団から出たくない。

この繰り返しだった。

遅くても12時ごろには起きるが、罪悪感と後悔でいっぱいだった。

同居人にも呆れられる

自分は働いてもいないくせに、時間を無駄にしている

勉強しなければならないのに、うだうだと布団で過ごしている

なんて、だめな人間なんだ

毎日、この繰り返しである。

同居人は、早起きを手伝ってくれた。

一緒にがんばろうねと、カレンダーに貼るシールまで買ってくれた。

それなのに、朝起きれない。

軽蔑の眼差しを向けられる。

社会人になってから、大丈夫なの?と聞かれる。

心療内科の医者にも、

「朝は起きるしかないんですよ、どんなにつらくても。」

と言われる。

起きるしかない。

でも、一日が始まってほしくない。何もしたくない。

こんな状態だった。

どんなに本を読んで、その工夫を実践しても三日坊主。

ところが、あるタイミングで起きれるようになった。

それは、同居人から許されたときだった。

11時ごろに起きた時、「がんばったね」と。

一日が始まることを受け入れられるようになった。

前日の夜に、「明日は、午前中から勉強するぞー」と気合を入れて、寝れるようになった。

そうして、体調が悪いとき(生理のときや気圧の差があるときなど)以外は、9時ごろには眠気が醒めている状態になった。

勉強時間も増えた。集中できる時間も増えた。

おそろしいほどの変化だ。

次の課題は、自分で自分を許すことだ。

同居人に許されたから・・・というのは、正直不健全な感じがする。

だって、早起きをするかしないかを選択するのは、自分なのだから。

自分が早く起きたくない時は、起きなくていいのだ。

仕事だから、早く起きる。

これは、「早く起きないと自分が困るから、早く起きたい」という願望に基づいている。

仕事が自分を起こしてくれるわけではない。

自分を起こすのは、自分の意志なのだ。

私は、研究を進めたい。だから、早く起きる(最低でも9時までには)。

思い切り勉強をしたし、明日はお休みデー!としたときには、寝つくしてやる。

と、そんなことを思っているときに限って、早く起きてしまったりするのだが。

こんな感じで、人間ってうまくいかないなあと思った次第でした。

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