「かつて天才だった俺たちへ」を聴いて泣きながら立ち上がる
新人王になったメジャーリーガーが、オリンピックの金メダリストが、日本1とも言われる名高いYouTuberが、気づけば同い年で、なんなら年下で、畑は違えど、同じ時代、同じ時間を生きて、こうも差が出るものかと比べてみては、何者でもない自分に情けない気持ちになる。
と、なりながらも、そんな人たちはほんの一握りしかいないし、大多数はこんなおセンチにも「わかる〜」って共感してくれる仲間だし。って、傷の舐め合いじゃないけどそれに近い同属意識にどっぷり浸かってると、あるとき、惨めにすっ転んだ自分に気づかされる。あぁ、忘れてました。すっ転んで起き上がれずにいたの。って。
イカちぃ〜兄ちゃんなイメージしかなかったHIPHOPの人たち。日本1のラッパーと世界1のDJ。でもラジオを聴くと、下ネタとか世の中に対する妬み嫉み僻み、高校生の休み時間とか部活帰りの電車の中で話ていたような、しょうもなさが青春じみた、学生時代の懐かしさを感じるトーク。THE 男子高校生のノリ。そして曲を聴けば、自己紹介以上に人となりがわかる自虐の数々。なにこれ、俺かよ!仲間じゃん。ダサい俺らを出し切って、それを肯定するお決まりの流れ。ダッサぁ俺らwが心地良かった。それが楽しかった。ダッサい俺らの代表!みたいなのがCreepyNutsだった。
でもこの曲を聴いて気づかされてしまった。彼らは、仲間でもなく、俺らの代表でもない。ここ数年であれよあれよとメディアに引っ張りだこ。CM、フェスでも大トリ、菅田将暉とも楽曲を出して、念願のMステ、レギュラー番組もはじまって、ドラマにも出る。情熱大陸そして武道館で2days。R-1のテーマソングも担当して、ついにはオリンピックの閉会式にも出た。自分とは違い、自虐で終わらず高みを目指して、実直に自分と向き合って努力した人たちだった。
「かつて天才だった俺たちへ」もいつものようにダサい自分らを肯定する曲だった。「俺ら天才だったんだ」って。でもいつもと違うのは、仲間内の傷の舐め合いにも取れる自虐で落ちるのではなく、「もう一度頑張ろうぜ」ってすっ転んだ自分なんかに手を差し伸べて、後押ししてくれる曲だったこと。
彼らの言う「俺ら」はR-指定とDJ松永だけではなく、いつの間にかもっと広い意味での、ついでにダッサい俺も含めた「俺ら」になっていた。
彼らの快進撃は、まさにダッサい俺らの希望。
仲間が気づいたら遠くに行ってしまったような虚しさもありながら、大舞台での晴れ晴れとした姿に喜びを感じつつ、今日もCreepy Nutsを聴きながらがんばろって午後の仕事に向かうのだった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?