すぐ役立つことは、すぐに役立たなくなる

少子化に伴い、大学の学生獲得競争が熾烈を極めているからでしょうか、大学の学生募集広告を目にする機会が増えたように思います。
広告を見ていると、情報やAIといった「いまどきの流行ワード」を並べた学部・学科新設を謳う大学が多いようですし、「社会ですぐに役立つ」実学志向を打ち出している学校も少なくありません。

企業経営者の中にも「大学では、実社会ですぐに役立つ勉強をさせろ」という声は多く、時には「文学部なんか廃止したらいい」などの暴論を吐く人もいます。

社会ですぐに役立つ勉強をすることも、もちろん大切ではありますが、大学という場所で実学偏重が強すぎるのは問題ではないかと私は考えています。

秋山真之という人物をご存じでしょうか。
日露戦争時の海軍参謀で、日本海海戦を勝利に導いた立役者として知られ、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公の一人でもあります。
彼は日露戦争後に海軍大学校で教鞭をとります。
日本海軍を勝利に導いた参謀本人が講義するとあって、教室には学生たちが殺到します。
その冒頭で秋山は「私が今から教える戦術は、将来役に立たなくなる」と言って居並ぶ学生達の度肝を抜きます。
彼は「戦術は技術の進歩と共に陳腐化する。最新戦術を学ぶことも必要だが、孫氏の兵法などの古典や戦史を深く学ぶことで、いつの時代にも通用する普遍的な思想を身につけることこそが肝要だ」と伝えたのです。

幕末から明治にかけて活躍した志士たちの多くは、外交術や近代戦術など、その当時「今すぐ必要」とされた学問にはほとんど無知でしたが、「これは学ばねばならない」と思った知識・技術は集中して取り組むことで身につけていきました。

ただ、藩校などで四書五経を始めとする古典を学んでいたことで、激動の時代をどう乗り越えていくかを判断できるだけの基礎的な力量を備えていた者は決して少なくなかった。
欧米列強の植民地になっていた可能性さえあった日本を、独立国家として近代化への道を歩ませたのは、彼らの「どうしていいか分からない状況において、どうにかしてそれを判断する」力量でした。

現代は、秋山真之が活躍した明治大正や幕末・維新の頃と比べても格段に変化の激しい時代です。 
そこで本当に求められるものは「どうしていいか分からない時に、どうしていいかを判断する」能力や覚悟だと思うのです。

実学だけを学んでいたのでは、そういう力を身につけるのは難しいのではないかと思います。
古典や歴史などの人文科学を学ぶことの意義はそこにあるのだろうと思います。

古典や歴史といった学問は、学んだからといっていつ役立つかなんてわかりません。
来年かも知れないし、10年後・20年後かも知れない。 時にはほとんど必要とせずに人生を過ごす人さえいるでしょう。

それでも、自らの血肉となる学問を身につけておくことは、人生を歩む上で決して無駄ではないはずですし、いざという時に役立つのはそうした基礎的な知力なのです。

大学というところは、そういう基礎的知力を養う場所でもあるのではないでしょうか。

「すぐ役立つことは、すぐに役立たなくなる」のですから。

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