計量的知性を持つ
大阪府・市が申請していたIR(統合型リゾート計画)が正式に認定され、国内初のカジノ施設誕生が確実となりました。
このカジノ構想、横浜では賛成派と反対派が激しく対立して結局撤回となり、大阪でも激論が交わされました。
賛成派は「経済効果が高い」と言い、反対派は「ギャンブル依存症や犯罪が増える」と主張して互いに譲らず、時には聞くに耐えない罵詈雑言の応酬が交わされることさえありました。
今や日本のみならず世界中で、あらゆる事象において極端な二極化が進み「情理を尽くして相手を説得する」といったやり方ではなく「正しいのは私であって、それが分からないアンタは馬鹿だ」と言わんばかりの論調が目立つようになりました。
私は、朝まで生テレビやTVタックルといったテレビ討論番組が好きではありません。
皆が集まって議論することの意味は、各々が持っている知見を交換することで、個人だけでは獲得し得なかった優れた知見に到達することにあると思うのですが、討論番組の出演者は、他者の意見を傾聴して掬すべき点を見つけようとするつもりなどサラサラなくて、互いに自説を全く譲らず、相手をいかに打ち負かすかしか考えていない。
お互いにマウンティングに終始しているとしか見えないからです。
民主主義の危機と言われる所以でしょう。
人々が感情的議論に終始する大きな原因の一つは「計量的知性」を持とうとしないことだと思います。
計量的知性というのは「ペスト」「異邦人」などの作家、アルベール・カミュの言葉です。
物事を感情や思いつきで表面的に判断するのではなく、根源的に掘り下げて考える。
数値化できるもの・可視化できるものは可能な限り判断材料を集め、その上で冷静な議論を進める。
こうした態度が計量的知性と言われるものです。
先のカジノ構想であれば、インバウンド増加などで得られる経済効果による「プラス」とギャンブル依存症や犯罪増加で失われる「マイナス」を数値予測することは不可能ではありませんし、カジノは近隣のマカオやソウル・シンガポールにもある訳で、それらライバルとの競争への勝算についても可能な限り具体的な数字を用いた予測は可能だし必要でもあります。
意志決定に必要な数値を可能な限り集め、冷静に損得判断することで議会や有権者を論理的に説得するのが計量的知性であり、それこそ為政者の役目だろうと思うのです。
USJをV字回復に導いたマーケターの森岡毅さんは「USJの施策が連戦連勝だったのは、決して思いつきやひらめきによるアイデアが次々当たったからではない。可能な限りのデータを集め、それらを解析して90%以上の成功確率があると思われるものだけを実施したからで、数学的フレームワークによる確率思考を取り入れたからだ」と述べています。
森岡さんは「どんなに精緻な数学的フレームワークで分析しても、確率が100%になる訳ではもちろんない。それでも可能な限りのデータを集めて解析することで、確率を80%・90%に高めていくことは決して不可能ではない」と言っています。
計量的知性の典型です。
アメリカでは「温暖化はCo2排出量とは関係ない」と主張する人々が少なくありません(トランプ大統領もそうでした)。
多くの人々は、そうした考え方を「科学的に無知だ」と笑います。
でも、無知を笑う人々の中に、温暖化とCo2排出量の関係性を科学的に正しく説明できる人がどれだけいるのでしょうか。おそらく「多くの科学者がそう言っているから」という理由が多いのではないでしょうか。
温暖化Co2原因説を否定する側も、その無知を笑う側も、この件について「計量的知性」を持っている人は決して多くないどころかほとんどいないのが現状でしょう。
企業社会、それも名だたる大手企業で繰り返される不正・不祥事も計量的知性の欠如だと思います。
「今これがばれたらまずいことになる」「できれば隠しておきたい」という気持ちになるのは人間として決して不自然ではありません。 私もそういう気持ちになる事はあります。
でも、未来永劫隠し通せる隠蔽など確率的にほぼゼロです。
であれば、隠すことで今得られる利益など吹き飛んで、企業存亡の危機にすらなり得る(実際に多くの企業がそうなりました)訳で、単純に損得だけをみても間尺に合わないのですが、頭が悪い訳でもなく仕事もできたはずの企業幹部たちに、それができない。
人間はそれほどに感情に左右されてしまうものであり、だからこそ難しい選択に遭遇し、右か左を決める決断を迫られた時に「計量的知性を持たねば」と自らに言い聞かせることの重要性は計り知れないものがある、私はそう考えています。
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