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「やりたいこと」に押し潰されるということ

自分にはやりたいことがたくさんある。
自立して生きていくこと、仕事を見つけることなどの客観的に必要なこと、
絵を描きたい、曲を作りたい、料理をしたい、ゲームをしたいなどの趣味的なこと、
世界で起きている悲劇を全て無くしたい、死の苦しみから逃れたいなどの夢想的なこと、
普通の人間にとっては区別するべきものなのかもしれないが、これら全てが自分にとっては「やりたいこと」なのだ。


◆1,やらなくてはいけないこととやりたいこと

最初の項目については、客観的にはやりたいことというよりやらなくてはいけないことなのだろう。
苦しいけれども努力して、必要だからとこなす、普通ならむしろ何も考えず行えてるレベルのものなのではないか。

でも、これが自分の中には無い。
苦しいことに耐える、やらなければ生きていけない、そのような意味合いは自分には備わっていないように思う。

やるべきだからやりたい、でも自分にはできない、そこで止まっている。

だからこそ自分にとって「やらなくてはいけないこと」は「やりたいこと」との境界が曖昧であり、同一視しているのだ。


◆2,やりたいのにできないこと

2つ目の項目についてだ。
自分には色々趣味があり(と勝手に思っており)、それが上手く自分でこなせるもので、それにのめり込める時はきっと楽しんでいるし充実しているのだと思う。

しかし、それはできないことの方が多い。

上手い絵を見て絵を描こうにもその描き方がわからない、上手い曲を聴いて曲を作ろうにも何もその手がかりがない、料理をしようにも何もわからず写真のように綺麗にはならない、ゲームをやろうにも攻略法がわからない。そして、それら全てにおいて莫大なエネルギーが必要という点だ。
普通なら問題点を正確に分析して正解へ向かって組み立てるということが無意識にできるのだろうか。そんなことは自分の脳には備わっていない。ただ「できない」のだ。
何かをやろうとする度に、これらの「できない」が自分に降り掛かってきて、それを跳ね除けるだけの表現方法と思考回路とエネルギーを持ち合わせておらず、結果押し潰される。

自分にとって、たまに言われる寝っ転がっているだとかスマホ弄ってなにもしていないだとか言われる状況は、大抵この結果もたらされる状況であることが多い。それ以外に何もできない。
「やりたい」のに「できない」と一言で言ってしまえば簡単だが、自分の中では逐一その壁がのしかかってくるという重さを含んでいる。


◆3,やれるはずがないのにやりたいこと

3つ目も常々考えていることだ。
痛ましいニュースを見る度に、周りで問題が起こる度に、それが自分でどうにかならなかったかと後悔している。
自分にもっとエネルギーと頭脳があれば。努力していれば。障害がなければ。今こんなことをしていて良いのか。ニュースを見る度に、毎回毎回そう考えてしまう。
そして死すらもだ。死ぬのは怖い。痛むのは怖い。それへの回避と逃避のために、自分にできることはないのか。なんなら産まれなければ良かったのか。それが頭を埋め尽くす。

普通ならできないことは気にしないとか考えもしないとか笑い飛ばされるだろうか。自分も笑われたことがある。
でも、自分にとってはそうは思えないのだ。生きていくのと同じように深刻なこと。

「やりたいこと」が「できないこと」なら、「できないこと」も「やりたいこと」なのではないか?そこに何の違いがあるのだろうか?
普段生きている中で生まれ得る欲求が、自分ではどうしようもない領域と連動する。させられてしまう苦しみではないか。


◆4,やりたいのにできないのに求められる、だから苦しい

ここまで自分がどう考え、どうして辛いかを考えてきた。現状そのもの以上に自分の思考によって肥大化させている部分は多分にあるのだろう。
しかし、自分がどう考えて例え最善に成れたとしても解決されないことがある。それは、他者から求められることだ。

考えてみよう。日常的にやらなければいけないことは他者から一定の基準まで必要とされているが故にやりたい。趣味は他者が認める領域に達せた場合に褒められるからやりたい。夢想的なことはそれを成したら人が喜ぶからやりたい。
全てが全てそうではない部分はあるかもしれないが概ね、やりたいこと即ち他者の基準なのである。
他者の求める基準が存在するからこそやりたい。他者の求める基準に達せないからできずに苦しい。
結局のところ、これが存在するからこそ苦しみ、逃れられないのかもしれない。
そして、その期待による「やりたいこと」が無尽蔵に増えていき押し潰される、これが実際に起きていることなんじゃないか。

普通の人間みたいに求める基準に沿った動きを完璧にこなせるか、もしくは他者に揺さぶられることのない絶対的な能力と自信と基準を自己に持ち合わせていればきっと苦しみは少ないかもしれない。だが、あいにく自分は持ち合わせていないのだ。


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