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ひっそりと、筋トレ開始

「書くための脳筋鍛えようと思って。筋トレ的に書き綴ります。」

そんなことをプロフィールに書いておきながら、アカウントを作って4年間で7本しか書いていない。それを眺めながら「どの口が」と何度自分に突っ込んだことか。

今日、久々に「note」の投稿を開いた。すると、「タイトル未設定」の下書きがずらり。思いがけず、書きかけの記事たちがそこにいた。中にはほぼ完成しているのに、「公開設定」を押さなかったものもある。自分で読んでいて「意外と面白いじゃん」なんて思うものもあるのだが(自画自賛)どうも表に出す気にならなかった、らしい。

理由の1つは、どうも自分の「文体」が見つからないことにある。
単純計算すると半年に1本しかnoteを書いていない私だけれど、実は昔はずっとブログを書いていた。当時はOLで、ライターや編集に憧れていたけれどそれらの仕事に就けなくて、その鬱憤を晴らすかのようにいつも何かを書いていたのだ。「文体」なんて意識することもなく、とにかく思うがままに書き綴っていた。

でも、いざライターや編集の仕事に足を踏み入れると、書くものは「依頼に合わせたもの」になった。媒体と読者層と内容に合わせた、それらにふさわしい文体。それを十数年続けた結果、「私らしい文章」がわからなくなってしまった。なんだろう、「千と千尋」のカオナシの気分である。今書いているこの文章も、「私の文章」なのかどうかよくわからない。

もう一つは、ちょっとnoteに関するハードルが上がったからだ。その理由は、去年の夏から今年の1月まで古賀史健さんの「batons writing college」に通ったこと。
何年も毎日欠かすことなくnoteを書いている古賀さんに師事し、その背中を見てきた同期生たちが「毎日noteを書く」という道のりを歩き始めたのだ。昨年秋頃から半年以上書き続けている人もいる。尊敬、の言葉しか浮かばない。

だがしかし。
4年で7本しか書いていない私が、その中に飛び込んだとて毎日続くはずがない。私のことは私が一番よおおく知っている。なんせ自分とはだいぶ長い付き合いだ。「毎日書くなんて無理無理無理!」と思ったのが、書けない理由でもあった。

まあでもね。わかってるんですよ。誰に強要されているわけでもなし、毎日書かなくったっていいってことも。ただ単に腰が重かっただけってことも、本当は知っている。なんせ自分とはだいぶ長い付き合いだ(2度目)。

というわけで、きっと毎日書いたりはできないけれど、とりあえず1本書いてみたら自分の中のハードルがちょっと下がるんじゃないかな、と思ったので、思い切ってこの記事を投稿してみようと思います。

気がついた人は、ひっそり見守ったり、盛大に応援したりしてください(どっちも嬉しい)。


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