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母が催眠術師だった事を三十七歳で知った僕はひとり静かに涙を流した

記事:くろだ しゅんすけ

あるセルフメディテーションのワークで、子どもの頃の自分を回想し、その自分自身と対話するというものがあった。

幼い頃の自分自身の記憶や感情を丁寧に遡っていくのだ。

我が家は、地方銀行員の父、専業主婦の母、姉、僕、弟が二人、その下に妹の七人家族だ。

五人兄弟に関してだが、当事者の僕としては多い少ないなどと言う概念はなかったが

後に自身がニ児の父となり、いかに恵まれた環境で育ったのか気づく事となる。

子どもを一人育てるのにこんなにお金が必要なのか……

これからいくつか母と僕との素朴なエピソードを綴る。

まず、小学校低学年の頃の話をしよう。

まだ三男が母のお腹の中にいた頃だったろうか。

母が運転する車に揺られ着いたのはパン工場

「来る?待っておく?」

「待っておく」

しばらくして母が帰ってきた。

後光が差したかのように満面の笑みを浮かべた面持ちで、意気揚々たる態度

その手には大量にパンの耳が詰め込まれた袋が握りしめられていた。     

一袋三十円と言っていた記憶が薄らとある。

パンの耳には感謝している。

空腹を満たすにはこの上なく良い仕事をしてくれたし

そして何よりも母が作るラスクが大好きだった。

カラッと揚げて砂糖をまぶす、ただそれだけの食べ物なのだが食べるととまらない。

抜群に僕の腹と、何より母の手作りお菓子は心を満たした。

休みなく家事に追われる母の手はいつも荒れていて

カサカサなど通り越し、粗めのサンドペーパーを彷彿とさせる感触を今でも忘れない。

よく、そのサンドペーパーで僕の頬を両手で擦りながら

僕たちのことを愛しているような言葉をかけてくれた。

なかなかの感触で、一体どうなっているんだこの手はと凝視したことがある。

白く硬くなった皮膚は割れ、たくさんのあかぎれを見た僕は思わず黙ってしまった。

だが、その時も母はいつもの屈託のない笑顔だった。

幼少期、スーパーまで車で三十分ほどかかる田舎に住んでいたもので

野菜は普段、近所の無人販売所で買うことが多かった。

柱にくくり付けられている一升瓶にお金を入れて購入する。

農家のかたが収穫して余ったものだろうか、大根も人参も葉ごと売っていた。

そんなある日、見たこともない天ぷらが食卓に並んだ事がある。

空腹のあまり飛びつくように食らいつく。

……最高に美味しい。

「お母さん何これ?」

「人参の葉っぱ!」

そう、また満面の笑みである。

一体なんなんだこの人は、そもそも人参の葉っぱのビジュアルすら曖昧だった僕は

それを食べようと思う発想に驚愕すると同時に、この人は天才なのかと幼いながらに思った。

またある日、きんぴらゴボウではなく、きんぴら大根の皮という絶品の新メニューも登場。

余った大根の葉っぱは、至高の味噌汁の具へと変貌した。

洗鉢という言葉を知っているだろうか。

「せんばつ」と読むこの言葉は、禅宗の修行僧の食事作法で

食べ終えたお椀にお湯を入れ、たくあんなどのお漬物でお椀を洗う事である。

もちろん洗ったら、たくあんは食べ、お湯は飲み干す。

母は洗鉢を僕にやって見せながら雄弁に語った。

雨の日も風の日も焼けるような陽射しの日も

農家の方々が一生懸命育てた作物だから有難く尊いものである。

感謝してお米一粒たりとも残さず食べようね。

……ワークが終わる頃、僕の目には熱いものがこみ上げていた。

今では子供達全員が社会人となったが

改めて、一人で家族を養ってきた父の偉大さには頭があがらない。

両親が贅沢をしたところなど見たことがない。

社会人になって父に送ったポロシャツは大切にしまってあるときいた。

一度たりとも両親がお互いの文句を言う事などもきいたこともない。

全てにおいて子供を最優先に育ててもらった。

やりたいと思ったことは全てやらせてくれたし

いつもお腹いっぱい美味しいご飯を食べさせてくれた。

誕生日ケーキをみんなで手作りした事。

僕がちぎったレタスの大きさが一番食べやすいと褒めてくれた事。

休みの日の定番の家族での手巻き寿司やお好み焼き。

ごく稀の、街の中華料理屋に正装で出かけていたこと。

どれをとっても、幸せだった。

何においても、まず相手をよく知り感謝して

人のお役にたてるよう工夫と改善をする

その面白さを丁寧に教えてくれていたのだ。

一度として侘しさや妬みを感じる事なく。

「破壊と再生」

世の中の変化のスピードは回想した頃とは比較にならないほどはやくなった。

情報が、より鮮明に明確かつ詳細に、一瞬で世界中に拡散され

情報を得に動かずとも、手のひらで有益な情報が否応なしに横行する時代。

そしてこれから更に、誰も想像のつかない世の中になっていくだろう。

僕は、その情報の中から取捨選択し

概念という考えを壊す面白さと、そこから新しく創り出す面白さを追求している。

「母よ、もう僕の催眠術はとけていますか?」

あなたはだんだん眠くなる

あなたはだんだん眠くなる

あなたは、侘しさ、妬みという概念を一切失う

あなたはだんだん眠くなる

あなたは、必ず幸せになる

……

幸せを感じとれるようになる事が成長の過程なのか。

また夕飯がフキの煮物の日には、フキを山へ採りに行きたい。

〈終わり〉

 

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