見出し画像

全ては「ここで」起こってる。だから、傷付くのも自分なの。

与えることは受け取ること。
よく言われるフレーズ。

でもこれは
誰かにした行いに見合ったことを
時間差で経験する、
というような話じゃない。

過去や未来など、ないのだから。

その場での起こりを
もう今ここで経験しているということ。

その場で生じた体感、感情を
今まさにダイレクトに経験しているということ。

何かを与える者も
何かを受け取る者もなく
ただその経験のみがあるわけだけど

それは確実に
「ここで」起こっている。
いつも、いつも。

例えば
誰かを憎いと思ったとしたら
「憎い」を
今、ここで、ここが経験している。

二元の感じで言い換えればつまり
「自分」が
経験しているということになるかな。
「自分」の所でしか
全てのことは起こっていないということ。

そして
全てのことは
気が付いた時には済んで、なくなっているから
どうしようもない。

自由意志もないし
コントロールもできないし
沸いたものはただ
そうでしかない。


なんだけど…

「勝手におこるんだから、
嫌いなんだから仕方ないよね。
あいつを傷つけたって、
それが起こったんだから仕方がないよね、」

となるとしたら

本当には
このメッセージが
飲み込めてないのかもしれない。

だって
「あいつ」がいない、
という話をしているのだから。

まあ、傷つけようとする主体もないという
話なんだけど、

でもあえて、傷付く者がいるとしたらそれは
「あいつ」ではなく「私」。

「全て、ここで起こっている」から。

傷つくのは
いつもいつも
「私」なんですよ。


それでもね
思いは勝手に沸くし、辛い時は辛い。

だけど
このメッセージが入れば入るほど

沸く思いはそのままにしながらも
人を攻撃するということは
なくなっていくかもしれないと、
そんな風に最近考えるんですよね。

私達は、このメッセージが染み入るほど、
素直な体感、感情に手を付けなくなっていくけど
それは、

動物が本能で動いたり
自我システムが起こる前、幼児が
欲求のままに泣きわめいたりするのとは
やっぱり違う。
そう、違うんじゃないかと思うんですよね。

夢わたのセッション達

「夢みる私じゃいられない」スタエフ♪

ご質問・メッセージはこちらまで

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?