喜怒哀楽、なんでも起こりえるよね。それが問題にならないだけで。
私が私のためにこのメッセージを使おうと
してしまうのは、このメッセージがわかれば
「心配や苦しみ」がなくなると
期待しているからではないでしょうか。
「そうだよ。
スピーカーさん達もよく、心配する誰かはいない、
苦しむ誰かはいない、って言ってるじゃないか。」
うんうん。
こんな風に言われると、
そう思うのもムリはないですよね。
でも、ぶっちゃけ言うと、
非二元のメッセージがわかって気づきが
起きたとしても、
「心配や苦しみ」は起こってきます。
起こって来るんです、勝手に。
学習してきた観念によって。
探求されてる方とお話させてもらってよく思うのが、
このメッセージがわかったら、
そういったネガティブに分類される反応が
起きなくなったり、
悩まなくなると思ってらっしゃるんではないかと
いうことです。
が…
そうではないですねー。
喜怒哀楽、人として感じる感情はなんだって起こるし、悩むときは悩むし、苦しいときは苦しいです。
ただ
「私が」悩んでいるわけではない、ただ悩ましい。
「私が」苦しいのではない、ただ苦しい。
って腹おちしてるだけです。
そして
それらは、言葉にすると「体感」である。
とわかってるだけです。
そしてそして、
それらの起こりは起こったまま。
それらを
「問題にしていない」
というだけです。
いや、
問題にする誰かや何かはないのだから
「問題にならない」
でしょうか。
ここ、ポイントです。
「問題にならない」んです、悩み、心配、苦しみが。
だから
悩みっぱなし
心配が起きたら起きたなり
苦しい時は苦しいだけ…
ね、
ほんと、救いようのない話です。
こんなん
「私」が幸せになるような話じゃないですね。
↑
永遠に続くように思えるこの子達(悩みや苦しみ)
実は、
思考で問題にしてピン留め📍するから
永遠に続くように「思える」んだということを
1つ付け足しておこうかなと、思います。
まあ、問題にしてしまうのは、
問題を抱えている「私」を信じているからですけど。