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アラビア書道の「本来無一物」

私(L)は、シャンバラ書道会師範として指導を始めてから14年目になる。私が天真書法を学び始めたのは2002年なので、稽古自体は今年で22年目。

一方、2012年からアラビア書道を学んでいる。こちらは純粋に自分のための稽古として。もちろん私が軸足を置くのはシャンバラ書道会であるが、両方の手法で毎年ささやかながらも作品を制作してきた。

今回は今年制作した作品のうち、「本来無一物」という同一のタイトルで制作した三つの作品について記録しておこうと思う。

「本来無一物」は、禅宗の始祖「達磨大師」から数えて六祖目の慧能禅師(638-713)の有名な偈である。私は二十代の頃にこのダイナミックな偈に出会い、以来この偈にずっと励ま されてきたように思う。書題としても最高の魅力にあふれ、この世界観を、今度はどう表現しようかと考えると飽きることがない。 これまでにも何点も書いてきたし、これからも書き続けるだろうと思う。 今年2023年のシャンバラ教室の発表会にも、「本来無一物」というタイトルの作品を2点出品した。この言葉の背景を以下に簡単に説明する。

〜ある日、禅の五祖「弘忍」は全ての弟子たち(千人近く)を呼び寄せ、「自らの 悟ったところを、各自一篇の偈にして持って来い!それによって自分の後を継ぐ六祖を決め るぞ!ぐずぐずするな!!」という呈偈の命令を出した。

それを聞いた弟子たちは、それなら一番弟子の「神秀」に決まるだろう、自 分たちが書いても無駄無駄、と断念し、呈偈に挑戦する者は誰もいなかった。

ところが当の「神秀」は、出来上がった自分の偈を五祖「弘忍」に提出しよ うとするも、「弘忍」の部屋の前まで行っては心がふらつき、瀧汗があふれ、 提出できずに引き返す、ということを4日間にわたり計13回も繰り返した。

しかし全員の注目が自分に集まっていることを知る「神秀」は、呈偈しない という選択もできない。考えた挙句「神秀」は、「弘忍」に直接提出する代わりに、 夜中に一人でコッソリ廊下の壁に無記名で偈を書きつけようという作戦に出た。 そして、翌朝もし「弘忍」がそれを観て良し!としてくれ たなら、その時には、これは自分が書いた偈である、と名乗り出ようという 魂胆であった。(一番弟子にしては随分と腰のひけた策である)

★神秀が廊下に書きつけた偈:
「身是菩提樹 心如明鏡台 時々勤拂拭 莫使惹塵埃」
(身は悟りの樹、心は澄んだ鏡台 常に磨き上げ、塵や埃を着かせまい)

翌日、五祖「弘忍」は「神秀」を部屋に呼び、この偈の作者が「神秀」であること を本人に認めさせた上でこう言った。「お前はまだ『自己の本性』を見ては いない!お前の考え方自体が遅鈍である!ひとまず下がれ、そして再度考え て提出せよ!」と。神秀にしてみればトホホである。

この騒ぎは、米搗部屋で作務をして8ヶ月になる、文字を識らない寺の下働きの獦撩(のちの慧能)のところにも届いた。そして慧能は先輩に、偈が書かれた寺の壁に案内して もらい、それを読み上げてもらうやいなや、自分の偈も壁に書いて欲しいと 先輩に依頼した。

★慧能の偈:
「菩提本無樹 明鏡亦非台 本来無一物 何所有塵埃」
(悟りには拠り所としての樹など無いし、澄んだ鏡も悟りの台では無い。 『本来の自己』はカラリとして何もないのだから、どこに塵や埃があるというのか)

「塵や埃がつかないよう『自己の本性』を常に磨かなければならない」と する神秀に対し、「『自己の本性』はもとから完全なのだから、塵埃など つくはずもない」とする慧能。

「慧能」の偈に、彼が『自己の本性』を悟ったことを観た五祖「弘忍」は、 真夜中に自室に「慧能」を呼び出すと、頓悟の教えと、始祖達磨大師以来 受け継いできた袈裟、鉄鉢を慧能に授け、あまねく迷える人々を助けるよう にと南方へと送り出した。

これが、「本来無一物」の背景であり六祖慧能の誕生である。 ̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶

2023年シャンバラ教室発表会図録より一部転載

■本来無一物/六祖慧能偈(ストーン・フリー)2023シャンバラ教室発表会
荒木飛呂彦作「ジョジョの奇妙な冒険」第6部 空条徐倫」
のスタンドにインスピレーションを得、大筆を解放させて書いた。 
小原蘭禅書
フランス人の友人に見せたら「アラビア文字の様だね」と。


■本来無一物/六祖慧能偈(レフト・ハンド)
小原蘭禅書/2023シャンバラ教室発表会
六祖慧能はこの偈を現した時、文字を識らなかった。
ゆえに私も、書くことを識らなかった左手で書いた。
大好きな松煙墨に、藍が入っている青墨を使用。
落款印はこのために自作した。

■そしてこちらは、アラビア書道による「本来無一物」
2023年アルアル書道展会場にて、禅のポーズをとってくださる本田先生と。
本来無一物(部分)

(威張ることではなく、全ては私の不勉強のせいだが)私はアラビア書道以前にアラビア語もわからないので、自分が書いている文字や線に感情移入することが今ひとつできない。それがアラビア書道を学ぶ上で一番難しく感じる点である。(例えば、漢字も日本語もロクスポ読めない人が、本来無一物という文字だけを追って毛筆で揮毫する様なものであろうか。)

そこで今回は、私のアラビア書道の師である本田孝一先生(*)に無理やりお願いして、「本来無一物」という意味の文章(〜人間は無以外を所有しない〜)をデザインして手本を書いていただき、それをひたすら真似つつ、親しみを持つ世界観に浸りながら書いた。

慧能禅師の言葉であることを強く意識してくださったのであろう、円相でぐるりと文字を囲む様なデザインは、本田先生のオリジナル。(先生の名誉のために書くと、先生の手本は円がコンパスで書いたようにビシっと正円である。それに引き換え、私のはスイカのような揺らぎのある円になってしまった。ま、「世界の本田」と自分を比べること自体が、そもそも無理というもの)。

そのお手本、万年初心者の私の力量など全く考慮せずに書かれていて一切の手加減なし。「きゃー先生ーーーこんな難しいの書けませんーーー。な、何ですかこの円ーーー。」と自分でお願いしておきながら泣き言を言う私に「ふふふ、そうでしょう〜。この円、この丸。ふふふー。書けるもんなら書いてみろっ!!ですよね〜。はっはっは!」と満面の笑みであった。

そしてそうおっしゃった直後、「こう書くんですよ」と書き方を公開しその上必要な道具もご恵与くださった。しかし教えていただいたからと言って「世界の本田」と同じことが今すぐできるわけなどない。・・・でもいいのだ、迷わず稽古すれば。少しずつでも今より確実に上達して、できなかったことが、ちょっとずつでもできる様になる。それこそが稽古の魔法。(L)

電気の月25日7・魔法使い

本田孝一先生:アラビア書道家。伝統的な書法を守りながらも、宇宙や自然の雰囲気を背景にした斬新でかつ深遠なデザインを取り入れた作品を制作する、世界的なアラビア書道家。アラビア書道協会HPより







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