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家族に求めているもの。

京都の頃からの友人、原田優香の紹介で彼女が主催するこんなイベントに参加した。

家族ってなんだろう。そのことについて思うところがあるからこそ、参加したい!楽しみという感情があった。

今回は中尾岳陽さんの『家族』というか、人生を紐解きながら進められていく。この投稿では話を聞きながら感じたことをイベントレポート的に書いていきたい。(ついでに自分の家族観も振り返る。)

『機能不全家族』というワードが衝撃的。

まずはこれ。家族に機能するとかしないとかいう概念がなかったからであろう。そういう意味でいうと家族が機能していたから気づかなかったという風にもみえるけど、そういう訳でもない。家族に対しての付き合い方がわからなかったり、生きづらさを感じることは人それぞれあるのだろうけど、その表現の一つとして『機能不全家族』という言葉が生まれたのであろう。

『信頼』と『対話』

家族に求めていたものがこの2つなのではという。これに関しては話を聞いているうちに確かになあと思っていた。『信頼』があるから話せること、『対話』できるからこそ生まれる認められている、受け入れられるという感覚。この2つは双方向的にあるなと思った。元々は親に認めてもらえるのが当たり前だと思っていた。『無償の愛』というのもそんな概念から存在するのだろう。それが崩れるのは、話の行き違いだったり、行動だったりするのだろうけど、何かしらの負の感情を親から向けられることによって発生するのだろうと思った。

家族の問題に他者は介入できるのか。

話の中で、語り手のどん底の状態について話題になる。「怒り」と「恨み」に依存していたというのもまた衝撃的で、破壊力の強い言葉だった。そんな状態を当時どうしようも出来なかった中において、苦しいを受け入れて、「適切に」手を差し伸べられる人が居なかったのだろうと感じた。この「適切に」というのが大切で、支援の受け取り手が望む形でないと余計に傷が深くもなり得る。家族の問題って当事者には見えにくいところもあると思ってる。だからこそ、周りの働きかけが大切だと思うのだけど、その関わり方って何だろう。これは支援者側に立つと答えのない命題になるのだろう。

他人が『寄り添う』なんてできないという話。

私はついこないだまで生活保護のケースワーカーをしていた。(今は人事異動で別の事を、、)

いろんな子供の将来も含めた『家族』の問題に向き合うことになった。寄り添うって何だろう。話を聞いて、どうしていくのがよいだろと処遇を考える。その時にあくまで自分の立場で出来る関わり方を考えていたのだと思う。お客さんの望むものが必ずしも提供できるわけではない。『寄り添う』の定義にもよるのだろうけど、受け取り手が望む関わり方が出来れば良いのだろうけど、正解が分からぬまま、支援者側も関わっている。だから受け取り手との間に齟齬が生じるのではないかと思う。

私の家族のはなし。

このイベントで話を聞きながら、自分の家族ってどうだったのだろうと改めて考える。私は自分の選択を親に相談できないという問題を抱えている。というのも、いくつか根底にある価値観があるのだけど、親に認められたい、受け入れられたいから自分の弱さを出せない、つらいを出せないところがひとつ。(いい子ちゃんでありたい症候群) あと大きなところで言うと、自分の選択について話しても否定されるのではという恐怖があるからという所がもうひとつ。

この2つ目の部分に関しては、原体験がはっきりあって、高校時代に大学に行きたい!と話した時に『あんたを大学に行かせるお金が有れば弟を大学に行かせる。結婚すればそれまで』的な事を言われた高校2年生の秋。(受け取り方を多少私が曲げているところはある。)そんな事を言われても意地でも大学に行こうとはしていたし、結果的に自分の選択は尊重されているのだけど、当時の言葉がトラウマになって(他にも原因はあるのかもしれない)、今でも否定されるのが怖くて大事な決断は過程を家族には相談せずに(家族以外には散々相談してたけど)、決定事項でしか話せない。東京に行く時もそう。でも今だから思う、そんな決断を尊重してくれる両親で良かったと。

他の家族を知る必要があると思う。

『大人になる事で救われた』という事、成長が解決する部分はあるのかもしれない。ここで言う成長って何だろう。「私は」という視点を持ってしまうのだけど、自分以外の人との触れ合いや、いろんな家族を知る事で解決してきたのかなと思った。社会人になり福祉現場で働くなかで、色んな世帯を見てきた。仕事柄困難な問題を抱えている家族の方が多い。比較していいのかは分からないけど、自分家って絵に描いたような普通の家族じゃんって気付く。家族はそれぞれで色んな形があって正解はないと思う。元々は無い物ねだりというか、隣の芝は青い的な思考だったのかもしれない。だけど、自分の気付かない所で大事にしてもらっていたということに気づけたのは、自分の家族以外の家族をたくさん知って、自分の家族を客観的に捉えられたからなのかもしれない。


自分語りが多くなってしまったけど、家族について向き合う機会を与えてくれた、このイベントには改めて感謝したい。よい時間をありがとう😊声かけてくれてありがとうと改めてゆかはもちろん、スピーカーの中尾さんをはじめ参加者の皆さんに伝えたいです。


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