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夕陽と栞

遅ればせながら、今シーズンはじめての神宮球場へ。5月の夕暮れ、少し冷たい風がそっと吹いている。

信濃町駅を出て、行儀悪く本を読みながら歩道橋の階段を登る。階段を登りきり、本から顔を上げるとそこには大きな夕焼けがあった。とても眩しく、立派な美しい夕陽であった。なんだか今日は勝てそうな予感がする。

本を読みながら、一度もつまずくことなく器用に階段を下りきって左に折れると、奥に覗く夕陽の光がまっすぐこちらに伸びている。勝てそう。とても勝てそう。光に導かれるようにして日高屋の横を通り過ぎる。ぐんぐんと歩を進める。

横断歩道を渡ろうとしたタイミングでちょうど歩行者信号が青になる。待ち時間ほぼなし。これはさすがに勝てる。

夕陽に照らされながらふと周りを見渡すと、駅からともに球場へ向かって歩いてきた人々の服が緑一色であったことに気付く。本を読みながら歩いてきたとはいえ、今まで気付かなかったのが不思議なくらいに皆がみな青々しい緑のユニフォームに身を包んでいる。
これだけの援軍があの力強い夕陽に照らされながら球場にやってきている。いいぞ、いいぞ勝てるぞ。勝利はほぼ確信に変わる。歩みはさらに速まる。

球場に着く直前、つば九郎ハウスを通り過ぎようとしたところで、そろそろ本を閉じようかと思ったその時、表紙の裏に挟んでいたはずの栞がないことに気がつく。ない。駅を出るときには確かに挟んであったはずの栞がどこにもない。裏表紙のところにもない。きっとページを捲った拍子に落としてしまったのだろう。
あー。やめてくれ。ここまで良い流れで来ているのだから。さっきまで夕陽に照らされているだけで呑気に勝利を確信していたのに。あんなにも希望しかないような面構えで歩いていたのに。紙切れ一枚落としたからってなにも落ち込む必要はないじゃないか。
いや、でもお気に入りの本屋で貰った、お気に入りの栞だったんだよな。あーあ。まだ数回しか使ってないのに。あーあ。ていうか待ち合わせ時間過ぎてるし。あーあ。なんだか週末だからかいつもより混んでいるな。あれ、ご飯買う時間ないんじゃないのこれ。朝からなにも食べてないんですけど。あーあ。あ、ヨーグルトの賞味期限切れそうなの忘れてた。あーあ。あーあ。あーあ。

これから始まる試合に向けていい流れを止めたくない自分と栞を落として落ち込む自分とが錯綜する。試合が始まるよりも先に、内なる2人の自分の戦いが始まってしまった。

この後行われた試合結果についてはご想像にお任せするが、早々にユニフォームを脱いで球場を後にし、静かに電車に揺られ、最寄駅に着いて華金で騒ぐ人々を掻き分け、ひとり安いチェーンの居酒屋で浴びるように飲酒したことだけは記しておく。

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