つんてぃ

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毒出し 小学生のときの記憶

私は10代を楽しく過ごせなかった側の人間だ。 小学校も、中学校も、高校も、あまりいい記憶はない。 小学生のときの記憶で、とりわけ覚えている出来事がある。 体育の授業でチーム対抗のスポーツをしようとなり、チーム分けをするときの出来事。 どのようにチームを分けるかというと、 チームのリーダーとなる2人がまず前に出てきて(スクールカーストの上位にいる人たちですね)、その2人が交互に自分のチームに加えたい人を指名していく。 私たちのクラスでは「取り合い」と言っていた。

    • 相談文化

      自分の家には“相談文化”が存在しない。 相談どころか、コミュニケーション量が他の家庭に比べて圧倒的に少ない。 父は今日、母が用意した夕食を完食していなかった。 完食がいいことで、ご飯を残すことが悪だとは思っていない。私にもときどきご飯を残すことくらいある。 父は、ほば毎日夕食を残している。おそらく。 私は台所に用意された父の夕食の量は知っている。 父が夕食に充てている時間はごく短く、その時間内で用意された量のご飯をすべて食べきることは不可能だろう。 母が見ていな

      • 今の仕事を選んだいきさつ。

        現在、私は接客業の仕事に従事している。 ショッピングモール内の洋菓子店で販売・製造の業務を行っている。 今の仕事を選んだのは、 コミュニケーションが苦手な自分を変えたかったから。 以前は事務職の仕事をしていて、取り組んだ業務が成果として見えづらいと実感していた。それに比べ、販売職の一番いいところは、成果が目に見えるところだと考えた。売上高は目に見える成果。数字は客観的な説得力を持つ。 自分の話術でお客様に商品をおすすめし、お客様に一点でも多くの商品を買っていただく。

        • 生きること

          生きることそのものが難しい。 億万長者になりたいわけでも、タワーマンションに住みたいわけでも、きれいなモデルになりたいわけでもない。 普通に生きたい。 どこにでもいる普通の人になりたい。 そう願うことは高望みなのだろうか。 普通を願うことは高望みなのだろうか。 マジョリティ側の人間に生きたかった。

        毒出し 小学生のときの記憶

          初めまして。

          1年前、知人の投稿を見るために作ったnoteのアカウント。 「見る専」だったのですが、気持ちの変化がありまして、自分も投稿する側になってみようかと思いました。 継続できるかは分からないけどね。 なぜ投稿する側になってみようかと思ったのか。理由は2つ。 1.自分の記録用 プロフィールにも記載の通り、今のワタクシの専らの悩みといえば…「発達障害」です。検査を受けたのは2021年2月。それから、ずっと、ずっと、発達障害のことを考え続けています。発達障害について考えなかった

          初めまして。