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🌻私のひとり遊びとお人形🍎

こんにちは。この記事を開いてくださってありがとうございます。

ちなみにトップの絵は私が描きました。アナログ絵です。絵も趣味で描いてます。

この記事では私のひとり遊びについて書きたいと思います。

ほんのちょっぴり自己紹介も含んでいます。

私は昔からお人形が好きです。きっかけは私が五歳ぐらいの時にクリスマスプレゼントで枕元にリカちゃんが置かれていたことがきっかけです。たしかリカちゃんが白いドレスを身につけていて、何着かお洋服がついたセットの豪華版でした。今でもその子は残っています。さんざん遊ばれてくたくたですが。

昔はよくお話形式でごっこ遊びをしていました。長い時は一日9時間遊んでいました。

最近は、ひとり会議や反省会として登場しています。

自分の悩んでいることやもやもやしていることをお人形さんに喋ってもらいます。そして、別の子がそのことに対してアドバイスや反応をしています。私という存在をいったん消去することで、自分が「こう見られたい」というプライドや欲望が消えるせいかはわかりませんが、素直に自分の言葉で表現した弱音を吐くことができます。

(私は人間に対してはこのようなことはできません。自分のことを聞いてもらう、というのではなく、他人や別のことが気になりはじめるからです。

人間関係はお互いの「無頓着さ」で成り立っているのではないかと思います。相手が私に向ける無頓着を受け取らねばならず、そして私も相手に対して知らず知らずのうちに無頓着なのだろうと思います。私は無頓着な人間が苦手、いえ、正直に言えば嫌いなのです。なので私が相手に対して無頓着にならないようにしようとすると、相手に集中しなければならないので大変です)

この記事も私自身が書いている、というよりは、私に成り代わってお人形さんの人格で書いてもらった方が自由で、言いたいことを表現できるのではないかと考えています。自分の感情に何の思惑も隠れることがないからです。

私のお人形遊びはこの私を消去し、私の感情の一部をあるお人形さんの個体に与えることで人形会議が成立します。ですが時々、生身の自分がある個体のお人形さんに憑依した形で(つまり、私も人形たちの仲間入り?のような形)会議することもあります。

私はリカちゃん人形を何体も所有していますが、同じ名前の子はひとりもいません「リカちゃん」はひとりだけです。個体のお人形さんにタカラトミーの公式のリカちゃんの性格を演じてもらう必要はないですし、窮屈そうだと思います。

ところでこの記事は生身の私が書きました。つまり、お人形さんに代わりに書いてもらったり、お人形さんに憑依したりしてない状態で書きました。

私の分身であり、感情でもあるお人形さんに感謝。

お人形さんたちは思いもよらず、新しい感情や考えを教えてくれたりすることもあります。つまり、気づいていなかったものを教えてもらうような感じです。

もしかすると、私が私を救うために無意識に生み出した方法の一つがこの会議なのかもしれません。意図せず、そういう機能を持ったとも言えますが。

皆さんにとってのお人形さんとはどのような存在ですか?もしくはあなたにとって大切なものはどのような存在ですか?

整理してみるに、おそらく私にとっては自分の素直な感情に正直になれる存在だと思います。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

また、機会があればお会いしましょう。

🌻おまけ🍎

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フエルトで手作りしたリカちゃんのお洋服です。お上手な方から見たら素人感があると思いますが、作って着せるのが楽しいので満足しています。『ミステリアスマーガレットのお花のワンピース』です。気に入ってます。手縫いで簡単にアレンジもできます。

ちなみに参考文献は和田恵美子作品、『リカちゃんフエルトあそび』、日本ヴォーグ社、1998年、です。

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