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亡くなった元同僚のことを考えた話。

この数週の間に、立て続けに訃報が二件も届いた。
一人は叔母、一人は元同僚。

亡くなった元同僚を偲ぶ会の開催に賛同しない私は、冷たい人間なのか。
この一文ですべてを言い切った感もあるが、今回のnoteは、亡くなったこの元同僚とのお別れの仕方にまつわるお話。
しんみり感傷的な話ではなく、多くは愚痴かもしれない。
今は、この件のせいで、気分が悪い。
ちなみに、叔母の件でもすったもんだがあり、それはまたいずれ書けたら書きたい。

その元同僚は、数年前に、今、私がいる職場を退職した。
私は、彼の在職中の最後の10数年を同じ部署で一緒に働いており、その関係性は、心身共に近からず遠からず、好きでも嫌いでもない、どうでもいいっちゃどうでもいい、完璧にビジネスライクだが、やたらと長く一緒にいたものだから、知りたくなくても、彼の色んなことを私は知っていた。
一応は仕事仲間としては、うまくいっていた方だろうと思う。

そんな彼が亡くなった。
大病をして、今夏、入院して積極的な治療を受けていたが、その予後が悪かったらしい。
ここ1年ぐらい、彼との直接的な連絡はしておらず、私はそのことを知らなかった。
年齢的には、亡くなるにはまだ若いし、風の便りで、転職後の職場での活躍ぶりも聞いていたから、その突然の知らせは衝撃で、にわかには現実を受け止められなかった。
キャラの濃い人だったので、「思っていたより短かったけど、太く生きて逝ったな。」と、彼のことを思った。

彼の訃報については、元上司から知らされた。
その元上司は、10年以上前に退職していて、その元上司の在職中の5年間、彼も私も、その人の部下だった。
ご葬儀は、コロナ禍であることも影響していると思うが、ご親族のみで執り行うとのこと。
仕事の関係者は葬儀にも参列できないからか、その訃報を知らせるメールには、かつての職場仲間で彼の為に何ができるか考えようみたいなことが書かれていた。
今思えば、それからして違和感があった。
その時はまだ、その違和感の原因は不明だったけど。

一人っ子で独り者の彼。
ご両親も既に他界されていて、彼の亡くなった後のことは、彼の親戚の方が対応されたみたい。
その親戚の方も、どこの親戚づきあいもそうであるように、幼い頃はそれなりにつきあいはあったけど、大人になってからはそうでもなかったようで、今の彼のことはよくわからず、混乱の中でご葬儀などを執り行われたよう。
彼の交友関係もよくわからなかったから、葬儀の知らせもできず、彼の為に何もしてあげられなかったと、悔いのような言葉を述べられていたとのこと。

という話を、先の訃報に重ねて、先述の元上司がメールしてくる。
その親戚の方が、何らかの伝手を辿って、元上司に連絡してきたらしい。
そこで元上司は言う、彼のお別れの会を催したいと。
ついては、私ともう一人の別の元同僚(私と同じく、その元上司の元部下)に開催の協力してもらいたいと、暗に依頼してきた。
協力とは、簡単に言うと、その会の幹事をやれということだろう。
何かやりたくないんだけど、それ。
なぜだかよくわからない拒絶反応を私は起こした。

ただ、気が進まないとすぐさま返事するのもなんなので、何でそういう風に思うのか、一晩置いて、ちょっと冷静になって考えてみた。
彼と仲が悪かったとか、彼のことが嫌いとかではない。
そういうお別れ会の類を企画するのも、どちらかと言えば得意な方だ。
今の私ならば、時間的にも精神的にも余裕はあるので、やろうと思えばやれる。
でも、何だか気が進まないのはなぜか。
彼が在職中だった時のエピソードを思い出した。
個人特定されるのを避けるため詳細は控えるが、彼は、自分が人々の話題の中心になったり、自分の為に人から何かされたりすることをひどく嫌がった。
他の人が彼に感謝の意を伝えようとした時も、彼はその意を受け止めること自体、その場ではっきりと断った。
普通の人なら、たとえ、嫌いな人からであっても、一応は受け止め、心になくとも「ありがとう」とか言いそうだけど、彼はそういうことはしない人だった。
長めの連休の前日には、必ずと言っていいぐらい「俺を探さないで。」と言い残して、帰宅した彼。
「誰も探さないから!」と返すのがお決まりのパターンだった。
大抵、彼は海外旅行に行っていたのだけど、休みの間に何するかも詮索もされたくないし、とにかく、そうっとしておいてほしかったのかもしれない。 
変わってるなとは思うが、だからと言って、私は彼のことを非難しようとは思わない。
彼がそうするようになったのには、彼なりの考えがあってのことだろう。
彼は、そういう人なのだ。
それで思った。
お別れ会なんてやったら、すごい嫌がるだろうな、と。
これで私がお別れ会なんてリードして開いたら、「余計なことしてくれんじゃねーよ。」と怒り交じりに、それこそ夢枕に立たれそうな気がする。
お別れ会は、遺った人たちの気持ちの問題なので、亡くなった本人がどう思おうが関係ないという人もいるだろう。
だけど、私はやっぱり、故人の遺志は尊重したいと思ってしまう。
もちろん、故人の遺志だなんてのも、私の思い込みにすぎないかもしれない。
生きている最中も、本人が全力で拒んできたことなのに、死んだらそんなの関係ないよ、突然受け容れよって、何だか勝手な感じがする。
本人のこと、わかっていない気がする。
本人が嫌がりそうなことは、私はできない。

という結論が出て、元上司にお別れ会には協力できない旨、理由をツラツラ綴り、私は彼とは静かにお別れをしたいとメールした。
すると、大して時間も空けずに、そのメールに入っていたもう一人の元同僚からもメールが来た。
曰く、自分もお別れ会の開催に気が進まなくて、でも、その理由が自分でも何だかわからずにいたが、私のメールを読んでその理由がわかった気がする、自分も幹事を辞退すると。
私はそれを見て、「うわ、乗っかった!(本当はそうは思ってないのに、断る理由が見つかって便乗しただけでは?の意)」と思ったが、私自身の考えに同調してくれる人がいて、少し安心した。
そうしたら、その後、その元上司から返事がない
どういうことだ。
断るにも結構、時間と労力使ってんだけど?
「気持ちも知らずに、一方的に頼んでごめんなさいね。」ぐらい言って。
何かい、断った私たちのことを、冷たいやつとか、ケチとか思って失望したか。
それとも、私たちとその亡くなった元同僚の仲が、実はそんなに悪かったのかと誤解してるとか。
はたまた、彼のことをちっともわかってないね、と私にマウント取られた気にでもなったか。
全然そんなんじゃないのに。
たぶん、元上司にとっては、お別れ会を開いてあげることが彼にとって至上のことだと、疑いもなく思っていて、私たちの考えを理解するのは不可能かもしれない。

施してあげることだけが優しさではないと思う。
何もしない優しさってのもあるんじゃないか。
ああ、なんだかモヤモヤする。
お別れ会をしたい人は、したい人同士ですればいい。
ただ、私はできないというだけ。
弔い方だって、人それぞれ思う形があっていいと思う。

今までの私の人生で、こんなに彼のことを考えたことはない。
お別れ会をするより、こうしてそれぞれの頭の中で彼のことを思って、それぞれお別れするのでいいでしょ?と、私は彼に問いたいが、彼のことだから、思うこともやめてくれって、言うかもしれない。
そうだね、そういう人だった。

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