068 パンと江川太郎左衛門をめぐる青き群像

ポイントカードなんて面倒で、あまり持ってないのですが、パン好きを公言しているだけあって、ボクはパン屋さんのポイントカードを3枚も持っています。つまり、贔屓にしているパン屋さんが3軒あるってことですね。それがどこかはナイショの話。。。

だって、混んじゃったら困るでしょ。って、そこまで影響あるんかいな~って突っ込みは置いといて。。。

ある日、そのうちの1軒でパンを買って精算するさいにポイントカードを出したら、ポンポンポンと15個も。。。

あれ~? この子、俺に惚れてるな、、、というのは冗談ですが、どうして~?って、ボクが相当な間抜け面をしていたんでしょうね。

「お客様、今日は雨が降っていますので、ポイント2倍。さらに、毎月12日はパンの日ですから、ポイント2倍デーなんですよ」

通常は300円で1ポイントですから、その日は本来なら5ポイントのはずが15ポイントも。でも、2倍の2倍なら4倍じゃないの?って欲張りは言いっこなしですよ。まず、棚からぼたパンに感謝しましょ。

「でもさぁ、毎月12日がパンの日って、どういうこと?」
そう訊いたボクに、レジの子は、「さあ~?」と怪訝な顔を返してきました。
というわけで、半藤一利さん亡き後の自称歴史探偵としては、調べなくっちゃ。。。

日本で初めてパンが焼かれたのは、1842年4月12日。なんと、あの江川太郎左衛門がパン焼き窯を自作して、パンを焼いたという記録が残っています。

だから、12日がパンの日なんだ~。それにしても、4月だけでなく毎月って、キップが良すぎるぜ、パン業界。おぬしも悪いやつよのぉ。。。

それよりなにより、江川太郎左衛門、ご存じですか?

そう、あの「伊豆の韮山で反射炉をつくった人」として、必ず歴史の教科書に出てきた、伊豆のお代官様です。アレー、お代官様、、、おぬしも悪いやつよ・・・って、もういいってば。

でも知ってましたか? 5代将軍・綱吉の時代には、20人以上のお代官様が罷免されていたって。おぬしも、、、もうやめにします。

ボクも江川太郎左衛門の名前は知っていました。
でも、反射炉って何?

反射炉とは、煉瓦を積み上げて焼き窯をつくり、燃やした熱を天井に反射させて一点に集中し、高温で鉄を溶かして大砲をつくる窯のことです。

ええー? 窮状に喘ぐ憲法九条擁護派で平和主義者のボクが、大砲をつくる人の話?

でも、今日は「でも」が多い。でもがデモしてる?

しかし、考えてみてください。1854年に初めて完成した反射炉の12年も前に、江川太郎左衛門が同じ原理で、パン焼き窯を完成させて日本で最初にパンを焼いていたなんて。ちょっと優しい気持ちになりませんか。

とは言っても、深く考えないでください。そのパンは、軍人が携行するための兵糧パンだったってことは。

江川太郎左衛門は伊豆だけでなく、武蔵や相模など5か国の代官で、7万石のお殿様。当時、さかんに日本近海にやってきた外国船からこの国を守ろうと江戸湾の防備を固めるため、大砲や兵制を整備することを幕府に進言した人です。農兵制なんて士農工商時代に考えられない提案までしています。

なにせ1840年には、あの大国・清が辺境(?)の島国、イギリスに負けて香港ほかを割譲されるアヘン戦争が起きています。
その衝撃たるや、幕府はひた隠しにしますが、国を思う蘭学者の間でこの事件は急速に広まり、国を守ろうと様々な動きに繋がります。その結果、安政の大獄が起きるわけですが。

誰ですか、そのまま永久割譲して、香港をイギリスの領土にすればよかったのに、なんて言っている人は。ハグしてあげたいけど、時代が時代だけにねぇ、、、

この江川太郎左衛門って人、すんばらしい人です。
日本で最初にパンを焼いただけでなく、天然痘の接種を自分の子ども2人にして領民に安心して受けるようすすめています。牛痘の生みの親・ジェンナーが1796年に成功した際、自分の子どもに接種したと言われていますが、実は使用人の子だったそうです。

この牛痘法って奴、天然痘にかかった牛の膿からつくるわけですが(ゲェー)、2013年、最新の遺伝子解析法により、馬から牛に伝染したものだったことが分かっています。
つまり、「馬痘法」ってこと?
んな、馬鹿な。。。

江川太郎左衛門の話に戻って、
彼は長崎で大砲術に長けていた高島秋帆に弟子入りして大砲術を学ぶわけですが、この高島秋帆は頭の固い幕府の役人によるでっち上げ事件で11年も牢屋に入れられてしまいます。蘭学憎し、ってわけですね。

高島秋帆がペリー来航の危機に際してやっと出獄した際、自宅に招いて労をねぎらった江川太郎左衛門は、この11年間、高島の砲術を守り深化させてきたことを見せて安心させます。

「右へならえ」などの掛け声は、このとき江川太郎左衛門が考え出したものだと言われています。

江川太郎左衛門のまわりには、この国、いやそこに暮らす人(つまり我々国民)を守ろうと必死で生きた人たちがたくさんいました。だから、ボクは青き群像と名付けたんですが。
斉藤弥九郎、渡辺崋山、高野長英、、、

大叔母様も風の谷で姫に言っていますね。

「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし。失われし大地との絆を結び、ついに人々を青き清浄の地に導かん」 

風の谷のナウシカって、江戸時代の話ってこと?

1854年、日露和親条約を求めてやってきたディアナ号が安政の大地震で座礁した時、その修理をまかされたのも江川太郎左衛門です。

実は、この大地震の際、せっかく完成した伊豆の反射炉も瓦解してしまいました。

話はパンに戻って、江川太郎左衛門がパン窯をつくり、パンを焼くのを手伝ったのが高島秋帆の下で働いていた部下で、江川太郎左衛門はパンというものがあることを知り、彼を探し求めて、その知識と技術を借りています。

なぜ、パンかって?
そりゃあ、お米ではいちいち炊かないといけないから手間だし、煙があがって敵に砲撃されてしまうからです。

ほんの何年か前、コメの消費額がパンに抜かれてしまいました。そりゃそうですね、煙が上がる、、、んなことではなくて、手間だからです。
パンなら、買ってすぐ食べられる。独居老人宅や若い独身男女はみんなパンが好き。
しかも、日本の調理パン、最高ですよね。
でも、焼きそばパンって、あれは何なんだか…小麦粉に小麦粉。こむこむクラブ?

その小麦粉は国内生産率、わずか5%ですよ。貴重な小麦様、分けて味わって食べんか~い。

結局、今日は何を言いたかったかというと、みなさん、パンでなくご飯をたべましょう。
うちでお出ししている「奇跡の塩にぎり」の、恐ろしくうんまいこと、といったら。
三重県二見町で毎朝海水を8時間煮詰めてつくってお塩で、新潟の特別栽培米こしひかりを握るだけ。
うんまーい。

結論が違うってば。。。
いえ、塩にぎりがうんまいのは事実有根。

結論が違うっていうのは、歴史の教科書を「江川太郎左衛門は日本で初めてパン窯をつくってパンを焼いた」と書き換えてほしいってこと。

明治維新を待たずに亡くなった偉人はたくさんいますが、明治って、実はそういう立派な人たちでできあがり、その英知が蒔いた種でできあがった知性と誠意が、明治を形作っていったんですね。

明治は遠くなりにけり。
いや、江戸後期は遠くなりにけり。

ボクは去年公開予定だったけど延期されている映画『峠』を見るまでは、九条Tokyoの「歴史トーク」と「お笑いLive的な…」のイベントで我慢することにします。

歴史に学ばないものは、未来を語る資格はなく、未来に繋ぐバトンを持たないで生きていくのも同じだと思うんです。そんな人生、超つまらないでしょ。

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