025 現代の蔦屋重三郎、須原屋市兵衛になりたい

蔦谷って、あのTSUTAYAの名前の由来になってる?

多分、そうでしょう。実際にはTSUTAYAが蔦谷重三郎とどういう関係にあるのかボクにはわかりませんが、江戸時代を代表する版元といったら、蔦谷重三郎と須原屋市兵衛でしょう。

蔦谷重三郎か須原屋市兵衛になりたいだぁ。。。居酒屋のオヤジが何を寝ぼけたことを言っているんだって?

確かに。。。いくら、カウンター脇にミニ図書館を置いているからって、版元=出版社になりたいって、どういうこと?

とぼけるのも休み休み言えって、声が聞こえてきそうですが、こちとら、いたって真面目なんです。調べれば調べるほど、蔦谷重三郎と須原屋市兵衛は偉い。あんな気骨のある出版人=ジャーナリストは、そうそういないんじゃないかと思います。

ボクは脱サラするとき、ライター稼業でもやりながら、小さな出版社でも始められればと思っていました。自分のことを一通りの本好きだと思っていたんですね。前にも書いたように、「義」と「徳」の説明一つ満足にできないというのに。

そのとき、蔦谷重三郎や須原屋市兵衛のことを知っていたら、そんな大それたことを思ったでしょうか。知らないって素晴らしい。

当時、ボクが温めていた出版企画は2つだけ。一つは筑紫哲也さんが朝日新聞にまだ所属していたにもかかわらず、革自連という政党の選挙広報番組の進行役をやって、アメリカに謹慎させられていた間に考えたことを日記ふうの本にできないかと思ったのです。

そんな本を出したら、いよいよ新聞社を首になってしまうからと断られてしまったけど。。。それから十年くらいたった頃でしょうか、ある取材で本人にお会いし、当時の話をすると、「面白いことを依頼してくる人がいるなぁと思ったけど、さすがにそんな本出すわけにはいかなかったよー」と大笑いされました。

筑紫さんからいただいた原稿用紙の隅っこには、「ちくしよう」と印刷されていて、締め切りに追われる自分に「ちくしょう」と鞭打って書いているんだとおっしゃっていました。

もう一冊の企画は、当の革自連の候補者でもあった永六輔さんの作詞をすべて集めた作詞集。こちらも、何度会っても断られて日の目を見ずに終わりました。「作詞は曲あってのもの。しかも、中村八大さんとの作品は、曲が先にできて詞をつけていったものがほとんどなので」と固辞されました。

とても尊敬していた二人の先人にいとも簡単に断られ、ボクの夢はいきなり立ち往生してしまいました。以来、ボクの版元のなりたいという夢は難破状態が続いています。

といっても、ボクの永さん贔屓は変わらず、八大さんとのライブなどの追いかけはしばらく続き、土曜ワイドを聴きながらが畑作業の日課でした。

もっとも好きなジャズ・ナンバーといえば、六八コンビの「たそがれビギン」。ずっと、ちあきなおみが一番だと思っていましたが、ここ2年ほどは、すみれの歌う「たそがれビギン」にはまっています。

話は戻って、蔦谷重三郎や須原屋市兵衛はもっと統制の厳しい江戸時代にあって、自分が出したい本や社会に必要な本を作り続けました。そのために身の危険や私財を失くすことも厭わず。

蘭学を禁じられていた時代に「解体新書」を出版したのも須原屋市兵衛なら、まだペリーの黒船も来ていない1792年に、ロシアが侵略してくるという林子平の架空小説「三国通覧図説」を出したのも須原屋市兵衛でした。飢饉が頻発した江戸時代にあって、東北の医師の凄惨な現状報告と生き延びる施策を書いた本を出したのも須原屋市兵衛でした。

一方、蔦谷重三郎は吉原で生まれ育ち、はじめのうちこそ遊女カタログのようなものを出して当たりを取っていたようですが、当時の幕政を批判するような滑稽本を次々と出すようになり、幕府から発禁処分を受けます。財産も半分没収され、その起死回生策だったのか、東洲斎写楽の版画を大量に制作して後世に残すことでも、我々に出版という仕事のすばらしさを教えてくれています。

統制の厳しさと言ったら、本の一番最後には必ず、出版日と版元(出版社)、著者名が書いてある「奥付」がありますが、あれは江戸時代、南町奉行だった大岡越前守が出版社を取り締まるために決めたものだそうです。以来、約250年も同じ仕組みが続いていることになります。

九条Tokyoは食材にこだわった旬彩バルですが、毎月、読書会も実施していて、ミニ図書館もあり、先日は絵本も出版しました。もはや何屋かわからないという人もいますが、客の数だけ楽しみ方があっていいのではと思っています。

先日、久しぶりにミニ図書館の本を借りていく人が現れました。それでお金を取っているわけではないのですが、嬉しかったこと。ボクの棚からではありませんでしたが、本を読む人がいる、というだけでなんだか嬉しいですね。九条Tokyoの本棚は6段あり、読書会メンバーがそれぞれ1段ずつ管理・運営しています。置いてある本は貸してもいいし、売ってもいい、ボクみたいに見せびらかすだけ、というのもありです。

1段は、誰でも運営したい人が1か月単位で運営できることになっています。もち、あなたの参加も大歓迎です。

でも本を借りていく人が現れたって、喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか。。。電車に乗っていて、本を読んでいる人の少なさといったら。昔は、公園に行くとカップルが楽しげに座っている間に、一人で本を読んでいる若者が必ずいたものです。

そういや、誰かと待ち合わせして早く着きすぎた場合に読む本を、いつも誰もが携行していたものでした。会った最初の会話が、「今、そんな本読んでいるんだ?」から始まる時代がありました。

ネット上のサービスで始めてほしいのは、自分が選んだ本や商品の類似品を次々押し付けてくるのはやめて、むしろ、絶対選ばないようなジャンルのコンテンツをすすめてほしい。新しい発見と出会って、人は変われるのだから。

香港で書店や新聞社が弾圧されていくのを見ると、内政干渉だからって黙っていていいのかと思うのです。国って、なんだろうね。一個の人間の自由や権利より上位にあるものって、そんなものがあるんだろうか。

そのテーマについて、「読書会」や「歴史トーク」で議論した~い!

かつて蔦谷重三郎や須原屋市兵衛を持った国の末裔として、自由や人権には人一倍敏感であるべきなのに。。。つい75年前にも、黙っていることで痛い代償を払ったのではなかったのか。このまま黙っていていいのか。。。

そんなことを、客の来ることのなくなった22時以降に、ちょっと考えています。CLOSEDの看板を無視して上がってきた客と、そんな話ができればいいのに。最近の若者はおとなしすぎじゃないかなぁ。特に、韓国、台湾、香港に比べて。



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