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この世のたった1つの法則とは

吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』で
おじさんが問いかける。
君は自分では気づかないうちに
日々ある大きなものを生み出している。
それは何か?
読者にも問いかける。
答えを人に聞いてはいけないよ。
自分自身で見つけること。それが肝心だと。

最も心動かされるシーンは、
やはり雪の日の運動場のできごとだろう。

主人公のコペル君は、友だちが殴られたら
ともに守り、殴られようと約束した。
その数か月後に、自分の目の前で
本当に友だちが殴られそうになったとき、
かばってあげることができなかった。
動けなかったどころか、
とっさに仲間であることを隠そうとした。

その後悔と自責の念で、高熱を出す。
言い訳を考えたり、
ゆるしてくれなかったらどうしようと
不安に駆られたり、
そのことばかりぐるぐる悩む日々を過ごした。

話は変わって、
春のお彼岸の日に、
コペル君は、おじさんから仏像の話を聞いた。
仏像を作り出したのはどういう人かという話になり、
二千年ばかり前、ギリシャ人が仏像を作り出したと
おじさんは言った。

インド人ではなくてギリシャ人だというわけには
アレキサンダー大王の大遠征があった。

もともと仏像をつくる文化がなかったところを、
アレキサンダー大王がギリシャ軍を率いて
アジアを征服して廻った。

アレキサンダー大王の理想は、
征服した広大な土地に、
西洋の文明と東洋の文明との溶けあった
一大帝国を建設することだった。
ペルシャ人をギリシャ化し
ギリシャ人をペルシャ化して、
東西の文明を結びつけようとした。
ギリシャ人は続々東洋に移り住んで来て、
東洋と西洋の二つの文明の交流がずっと行われるようになった。

東洋と西洋の文化は
まるで違って感じられる。
その異なる対極に見えるものを
1うに溶け合わせて
美しい仏像を生み出した。

対極にあるものを合わせると
すばらしいものが生まれる。

コペル君は、あの雪の日の運動場で
自分のしたことの情けなさに
いたたまれなくなった。
もうこのまま死んでしまいたいとまで……。

おじさんに、学校にいきたくないと漏らすコペル君は、
おじさんは厳しく言われた。
自分のしたことに対して責任を負って
ちゃんとあやまること。
済まないと思っている気持ちを
そのまま正直に伝えること。
その結果どうなるかは考えない。
勇気を出して、ほかのことは考えないで、
いま自分のすべきことをする。

「過去のことは、もう何としても動かすことは出来ない。
それよりか、現在のことを考えるんだ。いま、君としてしなければならないことを、男らしくやってゆくんだ
中略
そうすれば、君はサバサバした気持になれるんだ」

『君たちはどう生きるか』吉野源三郎著 岩波文庫

自分の中の、いい自分、美しい気持ちを見るのは
嬉しく心地のいいものだけれども、
自分の中の、醜くて汚い卑怯な気持ちを見るのは
悲しく情けなくいたたまれなくなる。

どんなに消したいと思っても
人間なので弱さも醜さも自分の中にあって消えない。
そんな自分をも自分だと認めて受け容れるところから、
次のステージが始まる。

いい自分も悪い自分も、全部自分なんだと
自分をゆるしながらも、
いい自分が出せるように勇気を出していく。

それが、自分の中の
東西の融合なのかもしれない。

そもそも対極にみえるものはセットだから。
長所と短所はセット。
夏と冬も
男と女も
光と影も
善と悪も 
美と醜も
陰陽和合するのが、この世の法則

春になる転換点のお彼岸の日に
コペル君は、自分でノートに初めて綴った。
「自分がいい人間になって、
いい人間を一人この世の中に生み出すことは、
僕でも出来るのです。
そして、そのつもりにさえなれば、
これ以上のものを生み出せる人間にだって、なれると思います」

美しい心を持って、生きようとするのは
美しい人生を生きるということだと思う。

私の本当のおなかの気持ちが
どうしたいと言っているのか
耳を傾けていこう。

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