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道は、自分のなかにある

よくなるためにはがんばらないといけないとか
よくなるために何かしないといけないとか
そう思えば思うほど、道は遠のく気がする。

ミヒャエル・エンデの『モモ』を
数日かけて、ゆっくり楽しみながら読んでいた。

そんなとき、このブログを読んで、号泣した。

何もしなくてもいい
ボーとしていてもいい
生きているだけでいい

そう頭で言い聞かせはするけれど、
腑に落ちていなかったのか、
どこかで時間がもったいないとか、
何もできていなくていいのかとか、
私が自分を責めていた。

号泣した。

何もできなくてもいい。
ただ流れていくときをみているだけでもいい。
しないといけないと思わなくてもいい。
あなたは悪くないんだよ。
そう思ったら、うめくように込み上げてきた。

ちゃんとしなくてもいい。
何をやってもいい。
全部正解。

迷ってもいい。
何を選んでもいい。

失敗してもいい。
すべては体験。

したいことをしていい。
ずっと私が私と一緒にいる。
だからひとりじゃないよ。

孤独が怖くて恐れから選択しなくてもいい。
安心して。
死ぬまであなたと一緒にいるから。

何かになろうとしなくていい。
何もしない自分をゆるしてあげて。

自分が自分にそう言った。

年末年始も、12日間も京都に帰ったのに
ほとんど人にも会わず、
ただ母と家にいることが多かった。
何もしなかったことに罪悪感を感じる。

なんで?

私が自分を責めていた。

頭では何もしなくてもいいと思っても、
無意識がなかなかゆるしてくれなかった。

『モモ』を読んで、
心がほどけた。

よくなるために、
成功するために、
夢を叶えるために、
人々は時間を節約して
効率を考えて、
役に立たないことをやめた。

そうしたら、ギスギスして
幸せを感じられなくなった。
生きがいを失った。
自分自身をも捨ててしまった。

それがなくなると自分でなくなるという
自分のコアの部分は死守しないと、
自分の人生を生きられない。

私にとって、それは何か。

それは、ゆとりのある自分の時間のなかにしかない。

私は、母を独占したかったのかな。
幼いころ甘えられなかった思いを、
ただ一緒にいるだけで満たしていた。

印象的な言葉がある。
モモが、カメに道案内してもらうときに、
早く行くために、カメを抱いていこうと提案したとき断られた。
どうして自分で這っていかなくちゃいけないの?
とモモがカメに聞くと、カメは言った。
「ミチハ ワタシノナカニアリマス」

自分で歩いて行かないといけない。
道は、自分の中にあるから。




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